人間が『面白い』と感じるコンテンツを作ることが大切

  • 21 March 2016
  • のぶやん

インターネットのGoogleの検索エンジンが少しずつ使われなくなってきているという話は有名です。Facebookの情報からニュースを取得したり、Instagramで検索をかけたりするという新しい使われ方がインターネットでも大きな割合を占めるようになってきました。どうして検索エンジンが使われなくなったかと言えば、『面白い情報を検索からは得られない』からです。検索に入れて見つかる情報は、友人から紹介されるほど『面白くない』からです。

個人にマッチングする情報は無意味

個人に情報がマッチすれば、見る可能性が高まるということで、Google社などは『個人にパーソナライズした情報』というものを取り入れています。一度検索したような情報が上位に出てくるようなシステムです。しかしながら、実際には1度見たニュースを2回見たところで無意味なように、こういったパーソナライズが成功しているとは言い難いものがあります。グノシーだって、個人にパーソナライズしたニュースと言っても、個人の嗜好が多様化している社会において、パーソナライズに無理があることが明らかになっています。

野球が嫌いであったとしても、清原のドラッグニュースを見て、野球の検索を繰り返したにも関わらず、次回から野球が興味があるとPCが解析して野球のニュースばかり取り入れられても困るわけです。東京ディズニーランドに行くので、ディズニーランドの検索ばかり1ヶ月行ったとして、帰って来た後にはディズニーランドの情報が出てきても無意味かもしれません。このように人生のイベントというのは変化する中で、コンピューターには、そのイベント変化を読み取ることができません。

面白い情報は新しい情報である

人が面白いと感じる情報というのは、自分が知らない情報であったり、今までにない展開である場合も多いです。例えば、『ラッスンゴレライ』のようなリズム系のお笑いだって、面白いと思うのは、それが新鮮に感じるというところもあるでしょう。『何か新しい』と感じて面白いということがあれば、多くの拡散が得られる時代になっています。逆にありきたりほど面白くないものはありません。

新しい情報を生み出すというのは、新しいことに敏感であり、新しいことを『キャッチする能力』に長けている必要があるでしょう。新しい事をキャッチする為には、日頃から情報を集めていて、いざとなった時に情報をゲットしなくてはいけません。

新しいことを学ばないといけない

新しい情報を出すためには、新しいことを学ばなければいけません。人間の五感をフル活用して、新しいことにチャレンジしていく必要性があるでしょう。何も新しいことをせず、何も学ばないようでは、新しことはできないからです。人間が新しいことをするというのは、非常に面倒な事です。多くの会社では、社員に『何か新しいことをして顧客満足度を高める方法はないか』などと言いますが、社員の側からすると、『そんな面倒くさい事を言わずに給料をくれればいいんだよ』と思っています。こういった会社から淘汰されていきます。

こうした場合には、アップル社のようにスティーブ・ジョブズのカリスマ経営者が『新しいことをやるぞ』と号令をかけて、社員が単にしたがっていれば、20兆円ほど備蓄できて、時価総額が50兆円企業になれるというのであれば、凄い事です。多くの場合には、社長はそれほどクリエイティブになれず、特に日本の大企業で社長がクリエイティブである事はほとんどありません。

松屋が出す新しいメニュー

松屋に行って食べるメニューは、『朝定食』だけという事になっています。隣に『すき屋』があって、同じ朝定食が220円なのですが、それでも私は松屋の380円の朝定食の方を食べます。理由としては、すき家は不衛生で汚いというイメージが強いからです。使っている食材の産地も良くわからない場所が多くて、『安かろう悪かろう』だと思っています。100円とか、200円をケチって汚い食事をするなら、少しでも綺麗な方で食事をしたいと思うのは当然です。しかし、その松屋も、朝食セットなどは定番であり、すぐに飽きて食べられなくなってしまいます。

マクドナルドもそうなんですけど、常に新しいメニューを出していないと、客の方が飽きてしまってこない時代になっています。コストを考えながら常に最先端の新しいメニューを出していかなければなりませんけど、利益率を大きく高めるには、今までのような外食産業の発想だと無理なんでしょう。今までのやり方は、本に買いてあるように『安いメニューを置いて、高いメニューで釣れ』みたいなものでしたが、消費者の財布の紐がさらに固くなってくると、こうした手法すら通じなくなってきます。高いメニューばかりのマクドナルドには、そもそも入店しないというようになってきます。

ユニクロが高い商品しか置いていない

ユニクロが高くてダサい商品しか置いていないのも、ユニクロの発想力が乏しくなった事を意味していると考えます。単に広告に依存して、広告を出しまくって何とかうるような手法では長続きするはずもありません。当初のユニクロの方針は、『安い服を庶民の手に届きやすい価格で販売する』という手法でしたが、今では庶民はユニクロが高くて買うことができなくなっています。昔のやり方を『規模の経済』に持ち込んでやっているだけにしか見えないからです。

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