情報の選択能力と「マイルドヤンキー」の存在

  • 22 January 2015
  • のぶやん

アメリカ、イギリス、日本の都会などでは、私立の小中学校が発展しており、小さな頃からエリート同士が付き合っていて、エリートと非エリートには、最初から全く別の世界があるという事には、多くの人が気がついている事でしょう。都会で言えば、私立の有名中学に入学するか、国公立のトップクラスの中学校に入学するかという選択が友達を作るうえで非常に重要になってきます。地方で言えば、中学校でトップクラスの成績(学年で10位以内)をおさめて、地元で一流とされる高校に進学して、偏差値55以上の大学に進学できればエリート仲間入りのチャンスが出ます。

こういった20歳ぐらいまでの生き方の指南であったり、お金の拠出などは、全て子供の親がどのように考えるかであったり、どのようにお金が出せるかという事にかかってきますので、全て親の考え方が影響してくる事になります。田舎のマイルドヤンキーと呼ばれる人の多くは、両親が高卒で、田舎で普通の企業に働いていて、地元の情報以外に大した情報を持っていません。グローバル化の何たるかであったり、最新の情報など特に関心がありません。

階級社会のイギリスと日本

イギリスなどは、階級社会になっているところがあり、上流、中流、下流とある程度の階層が分かれていて、それが交わる事がほとんど無いと言われています。確かにイギリスの大学は国立がほとんどだから、ある程度の学力がないと大学どころじゃないし、それ以上に学費が滅茶苦茶に高いので、下流の階級の人にとってみると、大学に入れるという選択肢は難しいという事になります。

日本においては、国立大学よりも私立大学の方が多いわけですし、私立大学も早慶と言われるトップクラスの大学から地方の私立大学(いわゆるFランク大学)と言われるところまで選択肢が多岐にわたっていて、入学しようと思えば、とりあえず大学受験に申し込んで、試験会場に行って名前だけ書いたら入学できてしまうような大学も沢山あります。そして、そんなFランク大学を卒業しても、資格を取るのに役立つぐらいのもので、有用な人脈形成などなされるはずもありません。

階級ごとにおける会話の内容が違う

階級ごとにおいて何が違うかと言うと、それぞれが行う会話の内容が全く異なってきます。上流になればなるほど、お金の話題や資産運用などの話題に敏感になっており、「いかにビジネスをするか」「いかに稼ぐか」「不動産の話題」「株価の話題」などになってくる訳ですが、下流になればなるほど、「ゲームの話題」「テレビの話題」などの話題になってきてしまいます。話題の内容が全く異なっているので、階層ごとに自然に交わる事がなくなってしまうのです。

消費する分野についても、階級ごとに全く異なっている場合が多くあります。例えば、上流階級であれば、写真の機材を購入したり、旅行などを個人事業主や会社の「必要経費」として決済したりしており、大手会社員の中流階級とされる人たちであっても、蓄えを作って不動産を買ったり、株式に投資したりする訳です。それに対して、下流の階層になればなるほど、所得を超えて乗用車にお金をつぎ込んでみたり、スマートフォンに時間を費やしたり、ゲームに時間を費やす事が多くなるとされています。

交わらないマイルドヤンキー

都会に居て大学を卒業して、そこそこ名前の知れた企業に就職した場合には、この「マイルドヤンキー」という存在に遭遇する事はほとんどありません。企業の中で勤めているのは、ほぼ大卒ばかりであり、しかもほとんど有名大学の卒業生ばかりという状況になっています。大企業に勤務するメリットというのは、単に収入が高いという事ばかりではなくて、周囲のこういった「社会的地位がそこそこの人」と交わっているチャンスが持てるという点についても大きいのです。

社会的な地位がそこそこの場所に自分を置いていなければ、そもそも自分が「まともな人」と結婚しようと思ったところで、出会うチャンスすらありません。結婚相談所に登録したところで、今まで自分の低い所得層の人としか交わってこなかったのであれば、所得が高い人の高度な話題についていけるはずもなく、「話が詰まらない」とか何とか言って、いつまでたっても結婚相手が見つからないという事になります。所得が高い男性が見つけたい女性は、それに釣り合った女性であり、マイルドヤンキーではないからです。

35歳までの年齢リミット

35歳を超えた男性が結婚できる確立が3%以下、35歳を超えた独身女性が2%以下と言われているので、男女ともに35歳までには結婚する必要が出てくるわけです。出産を考えるのであれば、男女ともに35歳と言わず、出来れば30歳ぐらいまでに結婚した方が良いのですが、それはさすがに難しいという事で、30歳から35歳ぐらいまでの結婚を狙うのが現実的とされています。特に女性は、男性よりも「若さ」が求められているので、30歳ぐらいまでに結婚する事が望まれています。どんな状況にあれ、女性は35歳で結婚してるべきだし、男性は35歳で400万以上の所得を持っておかないと、統計的には絶望に近づきます。

現実的に考えると、大学院を卒業する年齢が24歳な訳なので、そこから会社生活を3年過ごしただけで、27、28歳になった時には男女共に結婚を意識しなければならないということになります。大学生活の気分が抜けないうちに給与が月額20数万円という非常に安い段階で、将来性のある人間を捕まえて結婚に持ち込まなければいけないという事になり、男女共に大きなプレッシャーになってしまいます。

20代で生計を立てられるレベルに持っていって、30代でどんどん稼ぐか一発当てる感じ

高学歴の転落とマイルドヤンキー

高学歴者と言えども、ある程度の年齢になって会社を辞めさせられて失業してしまったり、そもそも大学を卒業してからまともに就職していなかったりすると、社会で「学ぶ機会」というものを喪失する可能性があります。工場労働者であったり、単純なコンビニのアルバイトなどでは、社会で学ぶ機会というものが多く提供されている訳ではありません。都会で中途半端にコンビニのバイトをしていたり、工場労働者などを続けている事は、将来的に田舎のマイルドヤンキーよりも人生の幸せ感度が低くなる可能性が高いという事です。


マイルドヤンキーというのは、地元に密着して低所得ながら、地元のネットワークを活用して何とか就職して、少ないお金でやりくりしながら就業機会を探している人たちです。パソコンを保有していないなど、技能レベルというものは決して高くないのですが、それでも同じ境遇の人と上手に結婚相手を見つけて結婚して子供を作って、それなりに幸せな暮らしをしている人と言うのが多いのです。都会に居て高学歴だけど就職などに失敗して、就職しても鬱になっている孤独なニートなどに比べると、自分の力量を良く分かっていて、それに応じた適切で無理ない生活を過ごしていると思うのです。それは比較的健康的であり、衣食住でそれほど困らないし、健康的で長生きできる可能性も高まるでしょう。

学歴などを見るより考え方を見る

学歴・経歴などを見て人を判断するという方法は、今の日本では以前ほど通用しなくなってきています。それは、高学歴の人でも、何かを間違えてしまったら、すぐに所得の底辺に転落してしまう可能性があるからです。京都大学卒業で35歳で自称ニートのPhaさんなどは、「だるい」「何もやる気が起きない」と言ったりしていますが、私だったらこんな人と友達になりたいとも思いません。Phaさんの行動力などは素晴らしいと思いますが、発言があまりにやる気がなくて、一緒にいると疲れてしまいまそうです。

考え方がポジティブで前向きであるか、もしくは将来の設計がある程度しっかりしていれば、今の境遇がそれほど良くなかったとしても、将来的に改善される可能性があるでしょう。最もヤバいのは、将来の設計をしっかりせずに、35歳を過ぎる頃まで「何となる」と言っている人でしょう。はっきり言えば、頑張っていたとしても大変なのに、目標が明確でない中でダラダラしていると、ほぼ100%確実に底辺から抜け出せなくなります。「お金が無くても幸せ」どうのこうのと言ってダラダラしていると、35歳を超えたぐらいで周囲と大きく差が開いていく事に気がつく事になります。

35歳ぐらいまでは、若さと言う労働性資産を使ってどこかに就職も出来て、お金もそこそこ貰えるのです。それが35歳を過ぎると、労働性資産が減少して、若さでお金を貰う事ができなくなってしまいます。そこで20代と30代前半で蓄積した知的財産をどんどん利用して自分を伸ばしていく時期に入る訳ですが、そこで20代、30代の頃にニートなんてやっていて全く知的資産、金融性資産を保有していないと本当に厳しい事になっていきます。それこそ、更に労働力を使って稼ぐしか道が残されていなくなるので、安い給料でもどこかで働くしかない。35歳でそれに気付いたのでは、実は結構ヤバい。

貧乏であっても、学歴が低くても、将来の設計図がある人とは付き合いたい

常に考え続ける事の重要性

現在の日本がさらされている状況と言うのは、グローバル化だけではなくて、同時にロボット化されているという状況があります。人間というものは、ロボットに出来ない価値を提供しなければならず、そういった価値を創造していけない人は、所得を上昇させる事ができないということです。現在のロボットにはとてもできないことは、作業をマニュアル化したり、効率化する方法を考えたり、改善する方法を考えていくと言うことです。言われた事をやっていればお金が貰えるという事は、ロボットに代替される可能性が極めて高いという事を意味しています。

考えるという事は、「今、自分が出来る範囲の中での能力で何かをやる」という事ではありません。常に新しい何かにチャレンジし続けていくという事であり、自分の能力を限界まで引き出しながらも、新しい事にチャレンジしていくという事でもあります。そこで何より大事になっていくのは、「自発性」であり、自分で企画を進めていく行動力です。これは、「友達と旅行を企画する」というレベルではなくて、お金を貰えるレベルで企画するという高度な企画力が求められている時代です。今の会社でも、言われた事だけやっているのではダメで、言われた以上に何かを行動して、成果に結び付けていく姿勢が求められています。

考える人に仕事が回ってくるし、考えない人に仕事が回ってきません

自発性に必要になる自主性

自分が今以上の仕事を実現したいと思っている人は、言われなくても仕事をどんどん進めてくれるという特徴があります。それが将来の自分の為になると信じているので、「自分の為に頑張る」という要素が強いのです。日本の企業は、成果主義の導入に失敗したとされていますが、それは巨額の成果を出したとしても、報酬が大した事がないという事が要因だったと言われています。仕事を任せると口では言いながらも、実際には何も任せないと言うことでもあるでしょう。

常に「他人から与えられる何か」を期待していたのでは、自分の成長を見込むことは出来ません。誰かに「何かを与えてくれ」という事ではなくて、自分からどんどん周囲を巻き込んでいかないといけないという事になります。自分から情報発信を積極的に行ったり、自分から何かを企画して、周囲を巻き込むと言うパワーが必要になります。会社の内部でもそうですし、会社の外部で活動するにしても同じ事ですね。お金を支払って資格の学校やセミナーなどを受講して、相手からお客さんとして扱われて、何かを勉強したつもりになっているようでは、ダメなんですよね。

苦労を苦労と思わないこと

自主性に必要になるのは、何よりも自分がやっている事を苦労だと思わないぐらいのパワーでしょう。自分の人生をかけてやるぐらいの勢いを持てることを見つけて、それに取り組む姿勢というものが大事になってきます。経済的に成功する人のほとんどは、「何をやりたいか明確である」という特徴を持っています。何がやりたいかを明確にしていければ、それを必死でやっていれば、お金があとからついてくるという感じです。だから、自分がやりたい事を見つけてやるというのが大事なんですね。

言われた事だけをやっていれば、普通に子供が生めるぐらいの給料が貰えるという時代が終焉して、格差社会になったという事を自覚・認識するべきでしょう。「普通にやっている」程度では、生産性において「マイルドヤンキー」と言われる人たちとそれほど変わることがないので、給料が伸びる事もないと言う事です。大学卒業してPhaさんみたいに「働きたくない」とニートやっているのは悪くないんだけど、金を稼いでこないと、自立して生存した事にならないから気がつかないうちに誰かに依存し続ける事になって、年齢を重ねると、その依存度が高くなる。誰かに依存するという事は、「好きな事をやりたくても制限される」という寂しい状態だ。

別に「ニート」みたいに働く事をしなくてもいいんだけど、金だけは生み出す方法を考えないと自立して生存できないんだわ。

お金がないと都会では貧しい

発展した資本主義の社会においては、お金がないということは、生命の危険にもさらされかねないという事を意味しています。少なくとも、自分の選択肢が極限まで制限される事になってしまって、どういった行動をとるかという事も手元にあるお金で考えるようになってしまいます。たとえ少しぐらいの借金をしてでも、手元にお金を置いておいた方が良いというのは、お金がないと自己防衛できない時というのが多々出てきてしまうからです。貧乏における選択肢の狭さといったら、居住する場所、食べるもの、身に着ける服装という基本的なものから、旅行などのレジャーまで限られたものになってしまいます。

自分が何か新しい事をしたいと思うと、お金がないと何もできないんですね。お金があれば、海外に行く事もできますし、カメラを購入して取材に歩く事もできますし、余裕があれば美味しいレストランに行けるかもしれません。女性に奢るよと言って連れ出すこともできるかもしれません。お金があれば、沢山の経験を生み出す事ができて、沢山の経験を生み出した人というのは、話が面白くなるんですね。経験の量が増えていくと、それだけ会話に深みが増して、言っていることの説得力も増す可能性が増えるのです。

年齢を重ねると厳しさを感じる

20代であれば、将来の可能性と言うものもあるし、若さだけで誰とでも付き合えるというところはあると思います。これが30代ぐらいになると、少し大人の自分を形成する事が求められてきますが、30代前半ぐらいだったら、まだ「お兄さん」ぐらいで、対等な友達を演じられるかもしれないですね。それが30代後半から40代になると更に大人としての行動を求められるようになってきて、お兄さんというよりは、完全に「オジサン」と見られるようになります。20代とは話も全く合わない状態になってきます。50代なんかになったら、20代と飲み会する時には、全部奢りぐらいを期待されるようになって、とても対等な関係で話し合いをできなくなるでしょう。

自分の気持ちがほとんど変化しなかったとしても、周囲の目線というのは、大きく変化するものです。そして、人間というものは、そういった目線と無縁に生きる事はできないのです。例えば、ニートをしたとしても、何か事業をしたとしても、自分と年齢が近い人の方が「友達感覚」というものが持てて、一緒にやっていける可能性が高まります。年齢に応じた成長というものが必修で、年齢に応じて成長できないということは、自分がどんどん退化していると考える事ができます。

正直、ここ20年ぐらいで富裕層の資産が増えているのですが、労働者の収入と言うのはほとんど変わっていません。言い換えれば、労働者が自分なりに創意工夫して収入をどんどん増やしていくような努力をとっていかないと、どんどん税金などが上昇して所得が減少する事を意味しています。「自分の年齢が上昇しても、所得がほとんど変わらない」というのは、実はかなり恐ろしい事なんです。結婚相手が見つからずに子供が作れないという事は、将来1人身になって孤独死する危険は高まりますし、誰かと交流する機会も限定される事になってしまいます。

資本主義というのは、「無料で何も提供を受ける事ができない」ということを意味しています。何か自分がサービスを要求するのであれば、それに対して対価を支払わなければいけないということになっています。そういった社会の仕組みというものを良く理解していないと社会人になってから大変な事になるので、教育というものを通じて、そういう事を理解させるような仕組みになっています。現実と向き合っていく必要があるのだと思います。

資本主義だ。金がないと惨めになるというのは、仕方ないんですあ・・・

多くの非正規社員などが「正社員になりたい」という言葉を言いますが、正社員になれば済む問題ではないと思います。自分が非正規社員がダメだとおもったら、そこから立ち直るルートを「自分の頭で考えて」実行していく事が必要になってきたのだと感じます。高度経済成長期であれば、特に考えないで頑張って仕事していれば、何とかなったかもしれません。今は、もう少し考えないといけない時代になってるのかもしれません。

何かに依存しようという姿勢は改めた方が良いだろうと思う。職業訓練学校に行って資格を取得するなどして技能が伸ばせる事はあるだろうけど、それが根本的な解決に繋がるかどうかは、結局は本人しだいですね。失業手当だって、失業期間中に求職活動をしたふりばかりで実際に遊んでいたりする人も多いです。自分から学んだり、少しでも技能を伸ばしたりしようと思わなければ、単純作業しか出来ない人間になってしまいます。

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