アメリカでは、弱肉強食と言われていますが、平等な社会で弱肉強食を行っている訳ではありません。ほとんどの場合には、金持ちの家の子供に生まれれば、チャンスに恵まれやすくなるし、貧乏な家の子供に生まれれば、チャンスが限定される事になっていきます。

個人が能力を付けると言っても、資産を持たない個人が労働だけで挽回しようとするのは無理がある時代になってきています。それは、海外の労働力が限りなく安くなっているためであり、

日本における一億総中流というのは、会社の資本を使って経済活動を活発に行える個人によって支えられていました。基本的に会社という組織が『資本の再分配』の役割を果たしてきた訳です。どこかの会社に所属していれば、その資本を使う権利を有しながら経済活動を行って、会社の業績があがるとボーナスなどで受け取りながら昇進していく事もできました。

日本においても、『働いても豊かになれない』とされるワーキングプアが急増しているとされています。働いているにも関わらず、貧困に困って苦しんでいる人たちの事をワーキングプアと言います。以前であれば、知的階層とされた人たちも、最近ではじわじわとワーキングプア層に転落するようになってきています。先進国において大学を出て就職すれば豊かに暮らせるという単純な状況ではなくなってきているのです。

日本では、高等教育である大学を卒業したにもかかわらず、派遣労働者・アルバイトで働く人が多くなっています。大学では、主にホワイトカラー労働者となる知識を教わりますが、その知識は実際にお金を稼ぐ時に役に立たない事も多いです。その為に派遣労働者・アルバイトに就職して、企業に正社員として技能を保有して入社する高卒以下の賃金しか受け取れない場合も増えています。

世の中の多くの人は、サラリーマンとして企業勤めをしているので、労働力のみに依存して収入を得ています。労働力のみに依存して生きる事は、賢い生き方ではありませんが、『お金に関する教養がない人』というのは労働力に依存して生きるしかありません。

学校で良い成績で安定した職業に就くというのは非常に危険ではありますが、それでも上位の成績でいるならば、マシな職業に就けるかもしれません。問題となるのは、成績が下位にいる子供たちであり、彼らの場合にマシな職業を見つける事すらできない状況になってしまいます。

年収500万円のサラリーマンは、月収40万円ほどになりますが、月収40万円ほどのサラリーマンでは豊かな暮らしをする事ができません。妻が働いていなくて、子供が2人もいたら、月収40万円あったとしても自分が使えるお金などごくわずかでしょう。

35歳を超えたら、もう家計を支えていく為に働き続けるしか選択肢がありません。働かなくなったら収入がなくなってしまうので、生活を維持する為に働き続けるのです。老後に備えた貯蓄も作っておかなくてはならず、とにかく出費が激しいので、いくら稼いでもまともな貯金ができない時代になっています。

40代以上の中高年フリーター(派遣社員・アルバイト)が社会問題になってきています。日本のバブルが崩壊した1990年以降、今まで正社員が行ってきた仕事を派遣社員・アルバイトに切り替える動きが広まりました。特に2000年以降に就職した団塊の世代の子供世代にあたる『団塊ジュニア世代』は、就職氷河期と言われる時代に社会人になって、就職できない人が派遣社員・アルバイトなどでフリーターになりました。

労働者の多くが貧困化する社会において、労働者が取りうる選択肢は多くありません。経済成長しない中において、会社は『労働者をコストと考えて、出来るだけ賃金を安く抑えて、労働者から搾取する』という事に重点を置き始めています。顧客に提供できる価格というのは、これ以上は下げられないと考えて、労働者の側から利益を出そうというのです。

今の資本主義経済は、イギリスの産業革命を基にした資本家と労働者の関係を基準に考えられています。それ以前は、土地を保有する地主と小作農の関係でしたが、それが都市に工場を保有する資本家と労働者の関係が強くなっていく流れがあったのです。そして、2000年代から急速に発展したインターネット上のデジタル経済によって、資本の意味が再び変化しようとしています。

人間と自然との関係にかかわる、ある種の過程を「労働」と呼び、人間が自身の行為によって、自然との関係を統制し、価値ある対象を形成する過程を「労働」と呼ぶ。 人間は古今東西、太古から現代にいたるまで、どの地域でも、何らかの生産活動により生きてきた[4]。そうした生産活動を「労働」と解釈するようになったのは、近代以降である[4]。 生産活動は、いつの時代でも、何らかの表象体系(意味づけの体系)と関わりがある。

人間が行っている現実の生産行為とそれを包括するいる表象とは、バラバラではなく、一体として存在する[4]。いいかえると、何らかの生産活動があれば、それを解釈し表現する言葉が伴うことになり、こうした言葉には特定の歴史や世界像(世界観)が織り込まれていると考えられている。労働について語る、ということは、言葉で織り成された労働表象を語ることでもある。人間が自然との間に、生産活動を通しつつ関係を持つということは、こうした表象に端的に現れているような、ある時代特有の世界解釈を身をもって生きることでもある。

(→#歴史) 資本主義社会では、労働は倫理的性格の活動ではなく、労働者の生存を維持するためにやむをえなく行われる苦痛に満ちたもの、と考えられるようになった。マルクス主義においては「資本主義社会では、生産手段を持たない多くの人々(=労働者階級)はみずからの労働力を商品として売らざるを得ず、生産過程に投入されて剰余価値を生み出すため生産手段の所有者(=資本家階級)に搾取されることになる」と説明されるようになった。(→#歴史) 現在、国際労働機関では、望ましい労働の形としてディーセント・ワーク(働きがいのある人間らしい仕事)の実現を目標に挙げている。



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