宮崎駿

宮崎駿監督は、なぜ”後継者”を育てることができなかったのか?

  • 24 August 2023
  • のぶやん
宮崎駿監督は、なぜ”後継者”を育てることができなかったのか?

宮崎駿監督が「人を育てるのが下手」だったのではなくて、最初からスタジオジブリ自体が「宮崎・高畑の作品を作る」ことを目的にしていたので、2人の作品作りが終わった時点で、その目的を終了して、スタジオジブリの制作部門自体が必要なくなったということでしょう。

最初から、宮崎駿監督は、クリエーターであって、経営者ではなかったということです。それは、良く考えれば当然のことだったと思います。宮崎駿監督は、驚異的な集客力をもって多くのスタッフを雇った、その功績だけで十分たる社会貢献をしているわけで、それ以上のことを求めるのは間違いに見えます。(多くの犠牲のもと?か知らないですが)優れた芸術が生み出されたことは間違いないからです。

高畑・宮崎のスタジオジブリ

スタジオジブリは、高畑、宮崎監督の作品を作り続けました。そして、その役割を終えた2014年にスタジオジブリが200人のスタッフを全員クビにして、制作部門を閉鎖しています。200人の常任スタッフを雇い続けるには、年間で数十億円の莫大な資金が必要となり、常に「ヒットする」映画制作を続けないといけません。下手をすれば、赤字でも映画製作しなくてはいけない状況になります。

2008年に募集された契約社員

2008年に募集された「契約社員」は、2009年4月から2年契約の契約社員を募集しました。それまでは、研修生という形で募集して、その後に正社員にするというものでしたが、正社員を雇うことができなくなって、結局は「契約社員」という形で募集されることになります。そして、2014年にスタジオジブリは、正社員を含めた政策部門のスタッフを全て解雇する形で制作部門を解散します。

スタジオジブリの使命

宮崎駿監督の最優先とするのは、『スタジオジブリで自分の作品を作る』ことであり、それのみに専念することです。そもそも、『自分の作品を作ることを目的にスタジオがある』のであり、他人を成長させる土壌を作るためにスタジオジブリを作っている訳ではありません。

成長する人は、どこにいても成長するし、成長できない人はどこにいても成長することができません。日本は、かつてのように高度経済成長している訳でもなく、新しい市場が生まれる訳でもありません。その中で、「成長することが難しくなっている」ことは紛れもない事実でしょう。チャンスを得るためには、自分から新しいチャレンジする姿勢が必要になってきています。

成熟した市場と勝負する

自分で成長していくのには、以前にも増して「膨大な時間」をつぎ込む必要がでてきています。インターネット初期に参入する、アニメ初期に参入するのと違って、既に成熟した市場と戦わないといけないからです。宮崎駿の作品と勝負できるだけの独自性を持たなければ、今の作品はヒットしないのです。高度な作品を求められている中で、その独自性を磨くのは、簡単なことではありません。

人に世界を見せるには、自分の世界を持っていないといけないんですけど、日本で若いうちに「経験」を積むことは、先進国としてリスクになってきてるのです。それよりも、大勢の人は「安定した暮らし」で十分だと思っているからです。

安い給料でも成長できればいい

スタジオジブリに入る人は、「安い給料でも成長するならいい」と思って入ってくるでしょう。しかし、実態としては、頭脳を完全に酷使される状況になり、自分自身でアニメーターとして想像力を活かすような訓練をすることができない現実があるでしょう。今の時代は、イラストが上手、下手よりもストーリーを組み立てたりする方が「高度技能」とされる時代(実際には過去でもそうだったかもしれないが)です。

そのため、イラストの上手下手を競うのではなくて、ストーリーが面白ければ、十分に商用に乗るような状況があります。進撃の巨人なんて、(一般的に見たら)イラストが上手には見えませんし、頭文字Dだってイラストが上手には見えませんが、素晴らしい作品として売れています。

独自の視点を磨いていくこと

人間が成長するためには、他の人をコピーすることよりも、独自の視点を磨いていく事の方が「大きな爆発力を生み出す」という結果になっていきます。それが「今の時代に合わせる」ということだからです。宮崎駿監督の世界観をコピーする事では、独自の視点を磨くことはできません。自分で旅をして、メモをして、自分の感覚で自分の視点を磨いていかないと、面白いストーリーにならないでしょう。それで修行をしたところで、単なる「宮崎駿の劣化版」にしかならない。

商業化に成功しても継続できない

スタジオジブリの場合には、商業化に成功したにも関わらず、属人化していたので継続できない問題が起こったという事です。別の意味で言えば、良く商業化に成功して、20年~30年も企業としての体を保ったとも言えるでしょう。それが宮崎、高田のなせる業だったと言えば、大成功だったと言えるでしょう。

新しい成長のスタイル

今の時代には、新しい成長のスタイルがある気がします。例えば、自分の作品をYoutubeにアップロードして稼いだりする方法です。最初から「長編アニメ」みたいな凄いものを作れなかったとしても、ショート動画で30秒ぐらいなら、一生懸命やれば自分1人でもチャレンジできることはあるかもしれない。そうした、市場とダイレクトにつながる『オープンチャレンジの時代』なっているのだと思います。

宮崎駿監督の年齢

37歳:未来少年コナン
38歳:カリオストロの城
43歳:風の谷のナウシカ
45歳:天空の城ラピュタ
47歳:となりのトトロ
48歳:魔女の宅急便
51歳:紅の豚
56歳:もののけ姫
60歳 :千と千尋の神隠し
63歳:ハウルの動く城
67歳:崖の上のポニョ
72歳:風立ちぬ
82歳:君たちはどう生きるか

宮崎監督が欲しい人材

宮崎駿監督の評価は、「人を育てる事ができなかった」というものです。鈴木プロデューサーは、「宮崎駿監督が欲しいのは、自分のコピーだった」と言っていて、周囲の評価はそんな感じで統一されているように見えます。

テレビで「かぐや姫の物語」を見ての感想

  • 15 March 2015
  • のぶやん

高畑勲監督の「かぐや姫の物語」を見た感じでは、最後のお別れのシーンで流れた「音楽」が良かったです。それ以外の出来栄えと言えば、確かに悪くなかったけど、古臭い感じが否めず、面白い物語かと言えば、そうでもありませんでした。多くの人が忘れているかもしれませんが、この「かぐや姫物語」には、膨大な金がかけられています。50億円以上のお金をつぎ込んでできた作品が「この程度なのか」というのが感想です。8年間に50億円使えるとあれば、誰もがこの程度の作品を作れるんじゃないかな?と思うんですよ。


 

50億円かけた作品としては糞レベル

日本においては、アニメでも映画に製作品に50億円を使える作品というのは、多くありません。もののけ姫の制作費が21億円、千と千尋の神隠しの制作費は、僅か15億円で興行収入が304億円をあげているのです。「かぐや姫の物語」で、50億円をかけて、興行収入が51憶円(発表されているのが制作費をギリギリ超えるラインというのが怪しい)というのは、映画だけでかかった費用が回収できないという完全な失敗作なわけです。じゃあ、「かぐや姫」のキャラクタービジネスが成立するかと言えば、これからDVDなどで売り上げなども厳しいと言わざる得ない訳です。

スタジオジブリとしては、多くのスタッフを抱えている中で、スタジオを何とか動かし続けないといけないというプレッシャーの中で、4年に1回の作品を何でも良いので出さないといけないという事になっていました。しかしながら、売れっ子の宮崎駿は、今まで作品を作り続けてきたので、既に体力も落ちて、新しい発想も落ちて、既に新しい作品作りに没頭できない段階です。宮崎五郎も、「ゲド戦記」で大失敗しているにも関わらず、「コクリコ坂から」が何とかそこそこ売れましたが、評価は高まりませんでした。

高畑勲は過大評価されている

高畑勲が過大評価されているというのは明らかで、はっきり言って30年ぐらい前の作品などは「衝撃的な素晴らしい作品」が作れたと思うのですが、今では全く良い作品が作れない「単なるプロデューサーの爺さん」になった事は明らかでしょう。こんな作品に50億円もかけるのであれば、5人の若手に10億円ずつ分配して5本お作品を作らせた方が良かったでしょう。スタジオジブリとしては、高畑勲の「名声」にすがりたいだけであり、彼は名前が売れているだけで、現在はその名声にみあう実力がないと考えます。

スタジオジブリの最初の作品である「風の谷のナウシカ」での製作費用は僅か3億円。それで15億円のヒット作に持ち込んでいるわけです。今回は、50億円をかけて、ようやく21億円の興行収入だから、やってられなくなるのは当然でしょう。「かぐや姫の物語」の制作会社には、日本テレビ、電通、博報堂、ディズニー、三菱商事、東宝、KDDIなどの大手が名前を連ねていますが、これだけの興行収入しか出せないのであれば、分ける利益もほとんどないわけです。

高畑勲監督の過去の作品の興行収入としては、『火垂るの墓』が6億円、『おもひでぽろぽろ』が19億円、『平成狸合戦ぽんぽこ』が27億円、『ホーホケキョ となりの山田くん』が8億円というレベルで、大ヒットというものがありません。この程度のヒット作では、質にこだわってしまうと、宣伝費用などの問題で赤字が出るようになっているのです。

頑固者のじいさんを早く降ろせ

高畑監督は、雑談レベルの日常会話ですら、自分よがりで誰も相手に出来ないとされている人物です。「お世話になってます」と言えば、「お前をお世話した覚えなど無い」と言われる始末です。こんな頑固者の80歳にもなる高齢者を相手したいと思う人はいないわけです。宮崎駿氏であれば、それでもヒットメーカーだから映画のヒットするという事で何とかなっていくわえけですけど、高畑監督にいたっては、映画も大してヒットせず、「単に頑固なだけ」になりつつある訳です。高畑さんは、宮崎さんの夢にも出てくるというぐらいなんで、人を支配しようとするのでしょうけど、まあ、時代遅れもいいところですわ。

壮大なスケールでファンタジーを見たい

スタジオジブリの作品の特徴としては、壮大なスケールのファンタジーがあります。「風の谷のナウシカ」から始まって、「千と千尋の神隠し」にいたるまで、人々が創造できないようなファンタジーが繰り広げられています。「風の谷のナウシカは」、当時の環境問題を間接的に指摘した内容ともなっており、「千と千尋の神隠し」というのは、日本中の全国に出来た大規模温泉ブームの時期と重なっていきます。つまり、時代を的確に捉えた作品のファンタジーという側面も持っていたわけです。

壮大なスケールのファンタジーというのは、いつの時代も人気があります。現在は、「進撃の巨人」などの人気があり、「進撃の巨人」のファンタジースケール感は、宮崎駿の映画にも負けないような大きなスケール感を持っています。「スタジオジブリ」としては、進撃の巨人以上のスケール感を求められている訳ですけど、そういった作品を生み出せるほどの想像力豊かな監督が育たない。それは当たり前で、スタジオジブリが「生え抜き」であったり、「常識的なアニメーター」にこだわれば、そんなスケール感を出せる訳がないのです。

スタジオジブリの老朽化

常識を打ち破ったり、大きなスケール感を実現しようという人は、そもそも組織の内部で働いたりせず、自分で組織を立ち上げるぐらいの事をしていくわけですから。言い換えれば、スタジオジブリの老朽化ですね。スタジオジブリは、時代に必要とされなくなってきているという事です。宮崎駿が引退するなど、何とか話題を作り出そうと努力こそしていますけど、そういった「小手先だけの」宣伝だけでやっていけるのは、10年ぐらいのものでしょう。この先はどんどん怪しくなって、最後に潰れる可能性すらあるでしょう。

スタジオジブリとしては、若手や知名度に関係なく、とにかく誰でもいいので、「質の追求」を行っていくべきだったのです。アニメの質の追求を行う前に宣伝の事ばかりを考えていたので、「宮崎五郎」に監督をやらせて、ゲド戦記で大失敗をしています。ゲド戦記なんて、どこかの作品をコピーしたような作品が並べられていて、本当につまらなかった。宮崎五郎は、凡人の何者でもなくて、そこから凄まじいエネルギーとか、パワーを感じることはできませんでした。

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