どうして労働者は豊かになれないか?資本を財閥に支配されて貧困化する労働者たち

  • 30 August 2018
  • のぶやん
スタハノフ運動

戦後に日本は農地改革で多くの小作農が自営業となりましたが、それから半世紀以上を経て、多くの農地が放棄されて自営業が再び小作農に戻っています。小作農と言っても、土地を耕している訳ではなくて、サービス業などで低賃金で働く派遣労働者・アルバイトとなっています。

スタハノフ運動

管理する事で生産性が上がるか

会社が従業員を良く管理したとしても、生産性が上がることがないことは分かり切った事です。管理された仕事というのは、突き詰めて言えば、マニュアル化された仕事であり、単に『指示された事を行う』というのであれば、正社員でなくて皆が時給制のアルバイトになった方が明らかに生産性が高いと言えるでしょう。

時給制のアルバイトは、言われたことはやるかもしれませんが、それ以上の事を何もしません。日本では、パート、アルバイトなどの低賃金労働者が広がっていますが、低賃金のパート・アルバイトの労働体系を続ける事は、個人の技能レベルが極めて低い状況にあります。

成果報酬がないと誰もがサボる

成果を出しても無意味と考えるようになれば、誰もが手抜きしてサボるようになります。そこで多くの会社では、『成果を出した人に沢山の報酬を出す』事を約束するとして、成果に応じた報酬を出すようにします。これは、ソ連におけるスタハノフ運動で失敗したのと同じやり方で、多くの会社で失敗例となっています。

多くの日本企業で導入された『業績連動給与』という成果報酬は、多くの場合に労働者の賃金引き下げのために行われました。成果を出した労働者に多額の報酬を出す代わりとして、他の労働者の賃金を極めて低く抑えるというシステムになっていたのです。その結果、多くの日本企業の労働者は『給料を貰うだけ』の働き方しかしなくなりました。

働いている意味が分からない状況

会社で働いていたとしても、生活が豊かになった実感がないと、会社で働く労働意欲が極めて低くなります。その典型的な例として、東京の生活費が高いことによって、『貯蓄ができない状況』というのが幸福度を大幅に低下させることになります。

過去に『独身寮』などが用意されていて、『社員にお金を貯めて満足度を高める工夫』が行われていましたが、会社は経費削減でその部分を削って個人負担としたので、個人の家賃負担などが高まることで、個人が働くことで年齢を重ねても貯蓄がほとんど増えず、満足度が非常に低い奴隷のような働き方をする状況になってきています。

新しい技術開発に遅れる

ソ連が崩壊した1つの要因としてあげられているのは、重工業から情報産業の転換に遅れた事です。80年代ごろからアメリカでは情報産業が盛んになり、インターネットも開発されていく事になりました。ソ連の計画経済・官僚制では、古いものを計画するのに長けていましたが、新しい需要を創出したりすることができませんでした。

新しい製品・技術を生み出して、それを世界中に広めていくようなことがなければ、外貨を得る事ができないので、国力を高める事ができません。重工業だけでは、人々の需要に応える事ができないような状況になってきているのです。管理された人が多ければ多いほど、誰も新しいものを生み出そうとせず、新しいものが生み出せなければ時代遅れになっていきます。

清王朝における科挙システムの失敗も良く似ており、清王朝は科挙システムを取り入れる事により優秀な官僚制を敷いて、1644年から1912年まで長期間の支配を可能としました。それは、日本の江戸幕府と同時期だったわけですけど、清王朝が崩壊するときには、科挙システムは既に時代遅れのものになっていました。1830年代から1840年代のイギリスにおける産業革命は、イギリスの世界における軍事的な優位性を確立して、清朝を軍事的に脅す事に繋がり、この事で薩摩藩が琉球王国に侵攻する事にも繋がります。

漢詩・漢文などの暗記力よりも、むしろ数学なども重視される社会に移行していった時期であり、現代のプログラミングが重視される社会傾向とよく似ています。

個人事業主からの資本主義

資本を会社が握ったまま、労働者として雇い続ける状況では、農地を押さえられた小作農と何も変わるところがありません。個人は農地に張り付いて、50%の報酬を地主に横取りされてしまう状況が一生涯続くことになる訳です。本来の資本主義というのは、個人が資本を持つことを許された社会であり、個人の報酬でなく資本自体が増えて行かないと、満足度は増えていきません。

国家が資本を保有して、優秀とされる指導者・官僚が経済を引っ張る事で国民全体を押し上げるという統制スタイルは、人々の自由な発想力・需要に勝てない事は明らかになっています。個人が資産をもって、それを各自が伸ばす事を保証する経済こそが経済成長の原動力となり得るでしょう。中国が個人の資産保有を認めた時(改革開放)から経済成長が始まっています。

資本を保有する事の豊かさ

戦後の農地改革によって、小作農が自作農になった事により、農村部が保守化したと言われています。農家は自営業者として、多くの作物が収穫できれば、自分たちの取り分が多くなるので耕作に励みました。日本が高度経済成長期には、人口増加で土地の値段も上昇していたので、良い場所に農地を持っていた農家は、それを売却すれば数億円もの大金が手に入ることも良くありました。

土地を売却して数千万円~数億円を手に入れて、それを有効に活用できなければ没落する事になります。そこで、ビルなどの収益物件に投資してオーナーになって収益を得て暮らす大家さんが急増しました。技能を特に磨かなくても、土地・建物の値上がりによって収益を得るスタイルは、バブル終焉によって萎んでいきました。

個人が輝けるプラットフォーム化

個人が活躍できるプラットフォームに人が集まるような社会になってきています。ツィッターのフォロワーを集めるという行動は、従来のメディアではなくて、自分から情報を発信する人が影響力が持ち得る社会になっています。

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