京都を押さえた織田信長の強さ

  • 15 April 2022
  • のぶやん

織田信長が強かったのは、愛知から京都に少しずつ移動して、家臣団を城下町に居住させたことでした。

移動しなかった武田・上杉

武田信玄、上杉謙信などは、自身と家臣ともども、自分たちの地域に居座って、西に移動したりすることはありませんでした。戦闘が終わったら引き上げていたのです。このようなことを毎回行っていると、コストがかかる上に、さらに京都から遠いので情報が入りづらい状況になります。これが武田氏が滅びた要因とも言えるでしょう。

織田信長は、拠点を何度も移動させる(那古野城→清洲城→小牧山城→岐阜城→安土城)ことで京都を確実に押さえることに成功していたと言えるでしょう。また、兵農分離を進めて、戦いを有利に進めるようになります。

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