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お金が支配していく社会におけるリベラルの立場

  • 24 May 2016
  • のぶやん

リベラルの学者たちには、違和感がかなりある。それは、自分たちは『個性が大事だし、知性が大事だ』としながらも、学歴をやたらと重んじたがったり、軽い感じを嫌ったりするように見えるのは私だけではないはずだ。そう、彼らはずっと大学という狭い社会の中でが駆出的な研究に熱心になり、学生を相手にしてきているので、その感覚は少なくともお金儲けの世界とは、相当の距離があるものになってしまっているのだ。

学者たちの多くが『安倍政権の安保法制に反対』しており、それは大変に良い事なのだが、学者と市民には距離感が大きい。それというのも、学者たちが相手にしているのは学生であって、市民ではなかったからだ。日本の教育において、大学というものは圧倒的に20歳前後の若者が入り込む場所であって、卒業をしたらかかわりがない場所になってしまう。その事は、学者と市民の距離に繋がったと考えられます。

資本主義という名のお金儲け主義

大学というところは、基本的に学生を商売相手にしていれば良い所で、学生から高額の授業料を取って、それで学生にサービスを提供する事で完結していました。それが問題になってきたのは、国が大学に対する補助金などを渋るようになってきて、国立大学などが『独立行政法人』などという名前で、研究などに対して更に厳しい成果を求められるようになってきました。これによって多くの研究者の給与が国家公務員に準じてジワジワ削減されて、更に厳しい研究成果も求められるようになってきました。

『資本主義』と言えば聞こえは良いですが、実態としては財閥を中心とした『カネが全てを支配する社会』となっていった訳です。そうすると、昔の貴族社会みたいに税金を搾取する人たちの力がカネの力でどんどん強くなっていきます。カネの動きが鈍くなっている社会において、カネの力が更に強まっているのです。こうした動きで、カネとビジネスに弱いものから駆逐されようとしています。まるで、暗黒フィアの社会のようです。

良心が通じないカネの社会

日本に資源が少なくなって、まるで中国のように『良心で良い人から食われていく』ような歪んだ社会になっている事は確かでしょう。誰かを騙してもカネを取ってくるような社会になっていると言えるでしょう。多様なサービスが充実して、お金で何でもできるような社会になってきたのですが、お金を稼ぐ事を上手にしないと、どんどん生活の状況が悪化するようになってきました。しかも、日本の権力者などは、今まで違法だった稼ぎ方まで合法化して、自分たちの利権企業にお金を流すような事を始めてしまいました。このような社会というのは、まるで社会主義の腐敗した政治にも似ています。

学者のように難しい論文をいくら書いたとしても、それは人々に『消費』されず、それを頑張って消費してくれるのは、難しい事を懸命に学習して単位を習得しようとする学生のみです。ブログをいくら書いても広告が掲載されていなければカネにならないように、いくら学者が難しい話をしたところで、それを社会が『消費』するようでなければ、学者の給与というものが保たれる事がなくなってきました。言い換えれば、学者の役割というのは、今までの学内から更に学外に活動幅を広げて、稼げるようになっていかなければいけないということです。特に文系の学者に対して政府が厳しい立場をとっているので、文系学者は自分たちが社会の役に立っている事を強調する必要がでてくるでしょう。

個人は事業主として独立しないといけない

Youtuberのように会社に所属しないで動画で生活したり、面白い動画が思いつかなければ、料理のレシピでもいいし、風景でも良いので撮影して、お金を稼ぐ事を考えなくてはいけない時代になっています。『老後は年金を貰ってのんびりと暮らせる』という時代はとっくの昔に過ぎ去ってしまって、生きていく為には、何らかの生産活動を求められる時代になったという事でしょう。高齢者だからと言って、年金を以前のように生活費+余暇を楽しむ分まで貰うというのは、既に不可能な時代になってきたのです。それは、人口構成が歪んでおり、高齢者が多すぎる為です。

これと同じ事は、若者のにも言える事で、株主が資本家として全てを奪い取り、更に税金まで搾取されていく世の中において、個人が『自己防衛』するには、何らかの資産・資本を持つ必要が出てきています。その資産・資本をインターネット上で持つ事は、特に大切になっている時代であると言えるでしょう。

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