ミッドウェイ海戦に見る勝てる選択と集中の戦略

  • 31 January 2014
  • WEB情報屋

旧日本軍は、ミッドウェー海戦において「敵空母を壊滅させようという」山本長官の思惑と全く逆に空母4隻を失うという大打撃を受けて、自らの首を絞めてしまう結果になりました。ミッドウェー海戦の失敗というのは、後にいろいろと分析される事になるわけです。ミッドウェー海戦における失敗の理由というのはいくつかあります。

旧日本軍が大敗北したミッドウェー会戦を例にみながら、どのようにしたら企業の業績を改善させられるかという事と、大企業(戦争における大企業側は米国)と中小企業(戦争における中小企業は日本)の戦略の違いであったり、勝てる企業、負ける企業について考えてみたいと思います。

企業

勝ち戦の中で改善が曖昧になる

ミッドウェー海戦までは、旧日本軍が建造した艦船・空母を戦いで失うことはほとんど皆無(1942年5月8日さんご海海戦で軽空母の祥鳳(しょうほう)を失う)であり、海軍に関して改善する余地がなかったというのも事実です。このような勝ち戦の中で、どこをどう改善すれば良いかという事が議論されづらい状況になっていたものと思われます。改善を図るにしても、その方向性というのが非常に重要で、旧日本軍においては、改善の方向性が曖昧になったままで、どんどん領土の拡大戦略のみが先行していく形になります。

日本は、ミッドウェー海戦で負けたにしても、機動部隊を運用できるだけの空母・戦艦はまだ保有していました。しかしながら、航空機分野においてゼロ戦の改善などが遅れていて、その後にゼロ戦などを大量に生産したとしても、喪失数が増えて全くストックが出来ない状況に陥っていっています。当時は、航空機の分野でも日米に技術力の差があり、改良した米国機にゼロ戦は太刀打ちできず損失が増えていった事が分かります。

選択と集中の重要性

ミッドウェー海戦は、ミッドウェー諸島の攻略を目的としていながら、日本は8隻、戦艦11席ほど出撃させた空母・戦艦を分散運用してミッドウェー海戦に実質参加できた空母は4隻、戦艦僅か2隻のみでした。ミッドウェー海戦では、その4隻が全部沈められるという旧日本海軍にとっては許しがたい大惨事となった訳ですけど、8隻・戦艦11席ほどの空母・戦艦を集中運用していたなら、絶対に勝ち目はなかったと後に米軍のミニッツ元帥は語っています。

旧日本海軍の山本長官は、国力で劣る米国と有利な条件で和平を結ぶ為には、米国を短期で攻め落とし続けなければならないと考えていたようです。過去の戦争(現在の戦争は兵器戦なので通じない)において数量で不利な状況で戦いに勝つ為には、戦力を1点に集中させる事によって各個撃破していくという方法があります。旧日本軍の場合には、戦略を重視しすぎて基本的な事を疎かにしてしまって、結局は相手と同等の戦力でミッドウェー海戦を戦って敗北する事になります。

戦艦


ミッドウェー海戦においては、戦力を集中させたのはアメリカ軍の側であり、兵力で勝っていた日本軍が兵力を分散してしまった結果、旧日本軍は大和をはじめとする主力戦艦を全く使わない状況に陥ってしまいました。山本長官の頭の中では、大和などの主力艦隊を失うわけにはいかず、その為に兵力を温存する作戦になってしまいましたが、これがミッドウェー海戦失敗の原因となります。本来ならば、大戦力で相手を叩くというのが正解だった訳ですが、それが失敗するのを恐れた(つまりリスクをとらなかった)

どんなに良い服を持っていても、デートで使わなければ意味がないという事でしょう。また、企業において能力がずば抜けたような従業員を抱えている企業が、その人員を有効に使いこなせずに飼い殺ししているという事も良くあります。戦艦などを持ったのであれば、その昨日を十二分に発揮しながら相手に勝利する作戦を考えなくてはいけないという事になります。

取りうる戦略の範囲

旧日本軍は、ミッドウェー海戦に対して空母8隻、戦艦11隻、その他の艦船を合わせて200隻以上という大艦隊を分散させて太平洋上に展開します。この頃の旧日本軍は、石油の備蓄も豊富にあって、取れる戦略が沢山あって、多くの戦略を同時に実行できるだけの余力があったので、その余力を発揮しようと様々な分散展開を行います。しかしながら、結果的にこの分散展開は、相手である米軍と互角の兵力勝負になってしまって敗北するという結果を招いています。

個人・企業は、余力があればある程に選択肢の範囲が広くなって、出来る事が非常に多くなります。自己の余力の範囲を測定して、それを将来の必要な場所に集中投下するという事が中小企業に求められる事になりそうです。

現代における企業経営

情報プラットフォームというブログの性質上、IT企業についての成功・失敗事例などについて考えてみたいと思います。

ミクシィ社の失敗

最初にミクシィ社の例を考えてみたいと思います。2003年に始まったミクシィは、2006年2月に株式上場を果たすなど、日本社会で一世を風靡する活躍を見せました。しかしながら、10年後の2013年にはフェイスブックやLINE社などの赤字をたたき出すようになっていきます。それでも10年も良く続いたという考え方もできますが、Yahoo Japanなどが20年近くも続いている所を見ると、ミクシィが企業戦略を失敗してしまった事は明らかです。上場企業でありながら、赤字決算を出してしまって、それが改善される見込みが薄いというのは致命的です。

ミクシィ社の最大の失敗LINE社が「スマートフォンのメッセージ交流」という一点突破に絞ったのに対して、ミクシィ社はミクシィニュースであったり、ミクシィゲームなど機能を多機能化する事ばかりに目を奪われて、集中した特長を打ち出さないままにアクティブユーザーを減少させる事になりました。ミクシィの最大の特徴がコミュニティでの交流にあったのですが、そのコミュニティのプラットフォームは、2003年からほとんど同じままで変化が皆無であり、ユーザーが離れる原因になった事は明らかです。ミクシィの最大の失敗要因は、ミクシィ上の機能をどんどん追加していき、ミクシィの機能を絞りきれなかった点にあるでしょう。結果としてメッセージをやり取りするにも、コミュニティでやり取りするにも全て中途半端になってしまって、メッセージに特化したLINEに敗北してしまうのです。

任天堂の赤字転落

任天堂社は、数年前までは安定株として投資家の間でもてはやされていて、大型ファンドなども任天堂をファンドに組み入れていました。しかし、最近の任天堂社に過去の元気はなくなっていて、スマートフォンの普及によってテレビゲームが過去のものになりつつあります。そもそも、若者の家庭を中心として、テレビゲームをするテレビの保有さえない家庭も増えてきています。売り上げが大幅に落ち込んでいて、利益も全くでない赤字の状況となっています。携帯ゲームプレーヤーのニンテンドー3DSに関しては悪くないようですが、テレビゲームであるWii Uの売り上げが伸び悩んでいるという事です。

任天堂のゲーム機は、とにかく複雑になりすぎました。テレビ画面とコントローラーで単純に遊べたファミコンと違って、今の任天堂のゲーム機は、テレビ画面にコントローラーにまで画面がついて、操作するのも難解です。開発側も2画面に対応したソフトを作らないといけないので、1本20-30億円という開発費用もかかってきます。とにかくハードを普及させてソフトで稼ぐといったって、今はスマホのように「無料で遊べるソフト」が当たり前になっていて、1本数千円のソフトを買い続ける人が減っているのです。映画もDVDもネットで無料、スマホで無料で遊べるのに、6000円する任天堂のソフトを買うのは難しいです。

日本人の考え方がバブルの時代のゲームをやりこむんじゃなくて、もう少し実用的に使えるものを求めるようになってきた事に任天堂は気が付くべきでしょう。Wii時代のwii fitなどのソフトのように「実用的に使えて面白い」というゲームの方向性に特化していくべきだと考えます。もっと簡単に言えば、単なるゲームじゃなくて教育分野とか新しい分野に進出しないとソフトを高値で売るのは不可能で、任天堂は生き残れないと考えます。

以前にも「実用性との結合」という記事で紹介しているとおり、実用的なものづくりに移行して、人々の生活を豊かにするという行動に変化を遂げない企業は長く続かないのです。
http://webplatform.info/node/636

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画像はここ(現代ビジネス)から引用しています。


大艦巨砲主義からの脱却

船に大砲を積むという戦艦は、初期の頃には砲撃が不正確なので、どんどん打たなければ当たらずに数を積み込む事で戦艦通しが勝負していました。次第に戦艦の射撃が正確になってくると、巨大砲を積んで遠くから撃って相手の船を沈める事が重要になってきます。

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