証券会社の対面営業が通用しない時代!証券会社の廃業が相次ぐ!

  • 8 December 2017
  • のぶやん

1999年の株式手数料の自由化で、2000年代からオンライン証券が活発化しました。子の流れの中で、2000年代後半になると既に『対面営業はもう長くもたない』と言われるようになっていました。しかし、インターネットを使えない高齢者などは、オンライン証券の10倍の手数料を払って対面営業を続けていて、日本の証券会社を食わせています。

日本の証券会社は、ヤバそうな時期を政府の株価の釣り上げで乗り切ってきたという歴史があります。そうやってジワジワと証券会社は減少して、最盛期より40社ほど減少しました。十字屋証券は、100人以上いた社員を円満退職させて、証券業を廃業して、8名の投資顧問会社に鞍替えしました。

東証から消えた『場立ち』

東証には、かつて『場立ち』と呼ばれる売買仲介人がいて賑やかに取り引きが行われていました。バブル経済の頃は、特に活発に取引が行われて、証券会社の社員が高給取りとして繁華街で遊んでいました。しかし、東証は1999年4月に立会場をなくして、場立ちによる株取引を廃止して、東証はコンピューターが動くだけとなりました。

ピークのバブル91年に17万人を超えた証券マンは、今では8万人ほどになっており、半分以下に激減しています。兜町の活気も失われ、誰も歩いていないような状況が見て取れます。個人取引によるインターネット証券の売買は、シェアの8割を超えており、対面営業のシェアは毎年のように減少しています。

アベノミクスの株価釣り上げ

世界の証券会社の多くは、対面営業(対面と言っても多くが電話営業)を既にやめていますが、日本において対面営業で生き残る地場証券が数多くあります。地方にまで証券会社があって、地方のお年寄りなどの資産運用のお手伝いをしています。しかし、証券会社の対面営業を続けている多くが高齢者であり、若者のほとんどがインターネットで少額取引を行っています。

アベノミクスによる株価釣り上げによって、証券会社は13年頃から業績を回復させていますが、この動きは長く続きそうもありません。日銀が国債を買いまくった結果、市中にお金を溢れさせることになりましたが、日銀の資産が膨張して500兆円にも達しています。この出口戦略が見えないところは、非常に恐ろしい事です。日本政府は、ギリギリまでこの状況を継続させようと必死になっています。

ディーリング部門の消失

2000年代になると、地場証券と呼ばれた会社にもインターネット取引を開設したり、ディーリング部門を作る動きが出ました。しかし、インターネット取引の手数料競争によって、インターネットを専門に扱うインターネット証券に太刀打ちできずに細々と続けている証券会社が多くなりました。ディーリング部門では、ゴールドマンサックスが2000年に600人いた社員を2人にしたように自動化が進んでおり、地場証券のディーリング能力ではとても太刀打ちできなくなっています。

2010年頃に東証が新しいシステムである「アローヘッド」を導入して証券売買が高速化すると、ディーリング部門が更に困難になりました。もはや人間の目で売買して勝つのは難しく、かと言って最先端のディーリングができない中小証券会社の場合には、利益が出ない上にリスクが高いディーリング部門を閉じる動きが加速しました。個人で手動によるデートレも2010年頃から既に厳しくなっています。

証券会社の淘汰時代

今では、地場証券はディーリング部門でも利益が出せなくなっており、顧客を多く抱えていない証券会社は、吸収合併されてその数を減らしています。かつての証券会社の社員たちは、全く別の業界に転職する例も多くなっています。赤木屋証券は、2012年に証券業務をやめて、本社ビルにカフェをオープンさせています。

株価の釣り上げであったり、上場幹事に名を連ねて大きな手数料を稼いでいる証券会社ですが、今後はそのような事は厳しくなると誰もが感じています。仮想通貨が出回るようになり、仮想通貨を使って上場する事すら簡単になる中で、証券会社に儲かる業務を担う事はもう不可能になっているのです。

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