1975年、長篠の戦い(織田・家康連合軍 VS 武田軍)
1975年長篠の戦では、織田・武田連合軍と、武田軍が戦いました。武田軍は、大損害を被って滅亡の道を進みます。
午前6時頃、早朝から始まった決戦は、午後2時頃に勝敗が決します。
織田氏が強かった鉄砲
織田氏は、大規模な鉄砲部隊を用意していました。それは、大阪・堺を押さえて交易を押さえていたからでもありました。鉄砲だけではなくて、その弾丸を用意することも、当時としては大変なことだったのです。一方の武田氏は、鉄砲を用意するために頑張りましたが、内陸にある武田氏は、交易が弱かったのです。
当時の鉄砲は、貿易が強い西側が強くて東側が弱いという特徴を持っていました。
武田軍は最初から劣勢
織田・徳川連合軍は、数の上でも武田軍を圧倒していましたが、さらに近代兵器である鉄砲を大量に用意していました。武田氏は、海運などの交易によって金銭を得ることが出来なかったので、相次ぐ戦争を担うだけの余力を農業から得ることしかできず、それだけ農民に対する年貢が高くなっていたのです。
武田軍は、確かに軍備だけ強かったのですが、軍備以外の所は、新府城の築城などで疲弊が見られたのではないか?ということです。そして、それを補うだけの交易などを武田領内で持ち合わせていなかったということです。
長篠の戦の後
長篠の戦は、武田氏にかなりのダメージを与えました。しかし、この時点に及んでも、まだ武田氏が滅びることはありませんでした。武田氏が滅ぶのは、1582年に織田氏が甲州征伐を行った時になります。1972年に武田信玄が「西上作戦」で徳川領に侵攻してわずか10年後、1975年長篠の戦から7年後のことです。
武田氏が滅亡した理由
武田氏が滅亡した理由は、内陸にあって交易ができなかったこと、そして周囲を敵に囲まれやすかったことに起因しています。
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