疲弊する地方経済と、都市に流れ込む貧困者層

  • 27 October 2022
  • のぶやん

江戸時代の中期以降には、大資本にお金が集中することで、中小企業の没落が起こっていきました。農村部は疲弊して荒廃していき、都市部に人口が集中していくようになります。農村を離れて都市部に移動してくる農民たちは、都市部で「貧困層」を形成することになります。その後、貧困層が中心になって1733年頃に江戸で初めての「打ちこわし」が起こることになります。

中小企業の特徴

中小企業の特徴としては、資金力が弱いことがあげられます。動かせる資金が限られれており、そのために採用できる人材も限られています。お金を厳格に管理しておかなければ、あっという前にお金がなくなって危機的な状況に陥ってしまうのです。専門知識・能力を持ち合わせた人を簡単に採用できない状況にあり、そのために人材の競争力も弱くなってしまいます。

中小企業では、王将の周囲にある駒が「歩だけ」と言われています。それだけ使える人材を集めるのが至難の業という事です。

都市部貧困層の生活

1744年になると、田畑の所有権の移動が認められるようになって、大資本に田畑が集約するようになっていきます。領主から年貢、地主から小作料を取り立てられた農民は、もはや生活が成り立たなくなって離農して都市部に流入していくことになりました。

都市部の貧困層の生活は、都市部における「日雇い労働者」のような形で成立していました。今の大阪「西成地区」に見られるような貧困地区を形成します。現在で言う年収100万円以下で放浪する貧困層と考えることができるでしょう。

都市部に人口が集中

都市においては、単純に商業が発展するばかりではなくて、理髪店が発達したり、飲食店が発達したり、医療が発達するなど、様々な「サービス業」の発展がみられるようになります。そうなると、便利な土地を求めて、さらに人々が集まるようなことが起こるようになっていきました。

都市部に人口が集中していくと、今度は地方都市で「農民が不足する」という事態に発展しました。農民が都市部に出ていくようになると、地方の農村分がどんどん荒廃していくことになり、地主も作物が取れなくなって困ることになっていくのです。

職業を選択する都市住民

今では、飲食店のアルバイトが不足して困っているレストランが沢山あります。特に都会においては、時給1000円で出してもアルバイトが集まらない状況になっています。都市部で貧困層から少しずつ成り上がっていくに従って、制約がある職業を嫌って、自由業を目指す人が増えていくのです。

都市の下層民たちは、基本的に「無産階級」であり、何も保有せずに自らの労働力に依存して生きていました。そのため、「日雇い状態」にあり、その生活ぶりが極めて不安定であったともされています。

幕府の政策と矛盾が生じる

江戸時代には、幕府は「コメの値段が高い方が収益があがる」状況であったのに対して、庶民にとってお米の価格が上昇することは、生活苦に直結することになりました。

地方都市で進む郊外化

今の日本における地方都市では、郊外化が既に定着するようになってきています。中心商店街の中小企業が潰れて、中心商店街が荒廃した状況になり、郊外で買い物をすることが当たり前になっています。郊外にできた大型資本のイオンなどが賑わうようになっています。イオンなどには、著名ブランドが入居しています。

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