マディソン郡の橋は、現実で起こりうるのか?
「マディソン郡の橋」は、1995年にクリントイーストウッド主演で映画化された男女の不倫を描いた映画です。
あらすじは簡単で、都会から田舎にきた男性が、夫と子供が旅行に出ている女性と4日間で恋に落ちるというものです。
4日で恋に落ちるのか問題
いくらクリントイーストウッドがイケメンだからと言っても、わずか4日間で恋に落ちることがあり得るのか?という話です。
夫に飽きている妻は、ぶっちゃけていえば、クリントイーストウッドじゃなくても、自分を慰めてくれる存在であれば、誰でも良かったんじゃないか?と思わなくもないですね。田舎の生活に息が詰まりそうで、そこから救って欲しかっただけかもしれません。
実際、どこの誰かも分からない男性が、自分の夫が不在中に田舎をウロウロしていたら、恋愛どころか「不安感」が先に来ると思うんですね。
自分の話を聞いて欲しい女性
田舎町で誰も自分の話を聞いてくれる人がいない中で、久々に自分の話を真剣に聞いてくれる人に出会った喜びは大きいでしょう。
そして、女性が求めていたのは、「ただ単純に話を聞いて欲しかっただけ」ということで、そこから救い出して貰うことではなかったのです。それは、作品の最後クライマックスで明らかになることです。
男性は、物事を解決して女性を解放してあげようとするけど、女性は「話を聞いてもらうだけで十分」だと思っていたわけです。もう、事態の好転を望んでおらず、今のままでいいと。長年をこの田舎町で過ごした女性には、もはや人生の選択など「田舎町で継続して過ごす」以外にはないのです。それ以外の選択肢をとれないんです。
ヒーローになりたい男性
男性ならば、「この女性をこんな場所から救い出せるのは自分だけだ」と思い込むかもしれません。こんな田舎町で人生を終えるなんて嫌だろう?私がもっと楽しい場所(都会)へ連れて行くし、一緒に楽しい人生を過ごそうよ。という男性に確かな説得力はあります。
女性としてみてくれる男の存在
田舎では、もはや1人の女性として見られるよりも、「お母さん」として見られるでしょう。そこに女性として見てくれる男性がいたら・・・「この男性と何かホニャホニャしてみたい」と考えるのも無理もない話です。子育てはしているけれど、男性にはときめいてしまって、恋愛感情は独身の頃と何も代わっていないのです。