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競争社会で生き残れるのは、変化を柔軟にできる人!

  • 27 November 2015
  • のぶやん

知り合いにたまにあって「変わってないね」と言われるよりは、「なんか雰囲気が凄く良くなったね」と言われた方が嬉しいですね。人間というのは、誰でも年を取っていくので、老いていくのは仕方ないとしても、大人になっていく過程で「大人びてくる」というのは、とても良い事なのかもしれません。

半年ごとに変化していく

変化が激しい時と変化が激しくないときというのは、どんな違いがあるのでしょうか?私が自分で感じた事を言えば、変化が激しい時というのは、様々な事が起こるので日が経つのが遅く感じます。1日のうちに様々な体験をするし、だから1日も早くも長くも感じる物です。変化が激しい時というのは、そういうのが何度も繰り返しあって、新鮮味がある中で頭の中が簡単になっていきます。

自分が変化できないようであれば、環境を大きく変えてみるといいかもしれません。20代のうちに変化が乏しい環境にいるというのは、非常に残念なことになりかねません。例えば、ニートだと言って、家の中に引きこもって時間を過ごしていたのでは、それが数年にもなってしまうとあっという間に時間を過ごしたという事になりかねません。また、ずっと会社員をやっているのもどうかと思います。どこか旅に出るのもいいし、1つの仕事に集中しないで転職して別の経験を探すのだっていい事でしょう。

女性の20代変化が激しい

女性は、男性以上に20代の変化が激しいとされています。20代のうちに学生から仕事に就いて、結婚して出産する人もいるかもしれません。10代は学業だけであったのに、今度はお金も、夫も、子供すら絡んでくるかもしれないのですから、これは大きな変化です。もっと簡単に言ってしまえば、女性が嬉しいと感じた時に特有のほっぺが上にあがって、上の前歯が見えると言うのは、20代前半が最も多いのかもしれません。

女性が20代前半のうちは、上品さがあまり見られなかった人であっても、20代後半になると上品さも見えてくるような変化です。30代になってくると外見だけではなくて、20代からの経験を通じた外見に内面が透けて見えるようになってくるのでしょう。男性が30代に大きく変化する(中には悪いように変化する人もいるんだけど)のに対して、女性が

変化する自分・環境・周囲

<変化するのは、自分なのですが、それに影響を与える周囲の人がいる事を忘れてはいけないでしょう。恋愛をすれば、恋人からの影響が非常に大きいものになるでしょうし、結婚したのであれば妻からの影響が非常に大きなものになります。そういった人からの影響を受けて、時代に合わせて変化していかないといけないのです。

今の日本では、歴史上にないほどの少子高齢化が発生しており、20代から40代の男女ともに大変な事になっています。若者が得るべき経験というものが高齢者が奪ってしまうので、「若者が経験を得られない」というのは事実だと思います。高齢者が多い社会、若者が少ない社会では、若者が自分を活かす機会が本当に少数で、それを掴んで維持するというのは至難の業です。その多くは、実力ではなくて親から受け継がれる貴族の社会と化してしまって、社会が固定化してしまいます。

最大の問題というのは、「変化を嫌う」「変化をできない」ことです。日本社会は、20年以上もほとんど変化できなかったのでした。それの意味するところは、世界が変化して取り残されたという事です。一部の人だけが変化しようと頑張ってきましたが、ほとんど変化できなかった人が大半であり、日本が少子高齢化しても、今でも変化できません。例えば、テレビを見る習慣、新聞を読む習慣、本来は全くなくても良い「習慣」というものが日本人は変えることができません。

時代の最先端にいるということ

私は今はSEALDsが時代の最先端にいると思っているし、SEALDsが影響を受けたとされる反原発運動とか、反差別主義者たちの運動は、間違いなく日本の中では最先端をいってると思っています。このような活動を主導しているのは、20-40代の世代であり、それを高齢者と呼ばれる人たちが後ろから支援していたりするという非常に正常な状況です。若年層がその力を発揮したいと思った時には、大人の側がそれを陰から支えていればいいと思うのです。要はどういった形で彼らの活動を支えるかという事で、誰にでもチャンスをあげられる訳ではありません。SEALDsが海外は、海外からも影響を受けていますが(シャネルのプラカードなど)、フランシス・フォード・コッポラも黒沢明監督からかなり影響を受けているとされています。彼らは、インターネット上であったり、自分たちが身近に見聞きしたことを活かして、自分たちの活動に独自性を持たせた訳です。

2014年10月のSASPL時代の動画を見ると、今から考えると「洗練されていない印象」を受けます。彼らは、SEALDsに生まれ変わって、1年かけて「洗練された状況まで持ち込んだ」と考えて良いでしょう。総がかり行動などは、やっている事がほとんど変化がない中で、SEALDsなどの活動が多岐にわたるようになってきて、成長していると感じるわけです。韓国の液晶テレビだってそうですけど、少しずつ変化を重ねて行けば、技術力を持った人にも勝てると言うことです。良く相手を研究して、そして少しずつ学んでいけばいいのです。映画を作りたいとかいう人がいれば、自分で機材を調達し始めて、自分でショートムービーを撮影してという事だって可能です。カネが無いと言い訳する人は、金があっても大した仕事はできませんから。

新宿におけるSEALDs


シャネル2014年10月(カリスマ・デザイナーのラガーフェルドが先頭に立って、デモの中心にいる上の写真)


90年頃に作られた映画であるゴットファーザー3を見たり、ウォールストリート2をみたりしたけど、どちらも共通しているのは、観客を感動させる為に作られた映画であって、自分たちが作りたいものを作ったのではないという事が出てしまっています。作るのであれば、自分たちが作りたいものを最後までこだわって作るといいと思うのですが、頭を押さえられた状態では、チャレンジなんて出来るわけないし。ゴットファーザーでは、主役となったアンディ・ガルシアの演技が微妙だったし、ウォールストリート2では、シャイア・ラブーフを使ったのは大失敗と言えるでしょう。シャイア・ラブーフは、チャーリーシーンと似たようなチャラ男なんでしょうけど、チャーリーシーンの方が明らかに似合っていたのは何だろう、それはチャリーシーンの親がマーティン・シーンであり、その影響を受けて育っているからでしょう。チャリーシーンは、50歳となった現在でも、世界中で知名度があってゴシップに常に名前が出てくる常連です。

映画で言えば、
レオナルド・ディカプリオが主演した金融映画であるウルフ・オブ・ウォールストリートもつまらなかった。監督をやったマーティン・スコセッシが高齢だったのもあるでしょうが、とにかく明るいだけで、重みと暗さがない映画というのは、やっぱり面白みに欠けると思って。全体として何が言いたいかがぶれちゃって。宮崎駿さんを見ていても、人間というのは、使える頭の資源が決まっているのかもしれません。いかに泉のように頭の中からアイディアが湧いてきたとしても、70歳にもなると行動して歩ける範囲も限られてくるし、アクティブにやれることも限られてきます。なんせ、周囲で付き合っている年齢層が高くなるわけですから。

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