工業からソフトウェア産業に転換が失敗した日本の末路

  • 15 March 2018
  • のぶやん
日本とドイツ

日本の半導体企業は、かつて世界を代表するプレーヤーとして上位に入っていました。現在では、東芝メモリが入っているだけで、半導体メーカーが世界で戦う力を失っています。

日本がソフトウェア産業に乗り遅れた根本的な原因は、90年代からの工業からソフトウェア産業に転換が出来なかった事とされています。その時期に日本は、バブル崩壊と工場の海外移転など、バブルの遺産を整理するのに精一杯でした。

日本企業の技術力が低下

日本企業の技術力が低下した背景には、1995年に8726万人をピークにして労働人口の減少が始まった事が大きく影響しているでしょう。少子高齢化がジワジワと進行する中で、社会保障費が増大して、消費税が導入されるに至りました。

日本の労働人口減少と並行して、90年代から日本の工場の多くが中国に移転して、その影響から日本に立地する工場が減少していく事になります。そこから『就職氷河期時代』が起こってくる事になり、現在の40代が就職しづらい状況となりました。

ソフトウェア産業の遅れ

ソフトウェア産業は、アメリカのグローバル企業が牽引している状態になっており、Google、Apple、Facebook、Amazonがグローバルに展開してインターネットを代表する企業になっています。日本企業は、それらのソフトウェア企業の下にぶら下がって、搾取される状態になっています。

日本では、工業時代のモデルをソフトウェア産業に持ち込んで下請け・孫請けのようなシステムを作りましたが、このようなシステムでソフトウェアの人材育成が進みませんでした。

懸命に働いても報われない

システム上で言われた通りに働いても、豊かになる事はできません。


派遣社員・アルバイトの増加

日本では、安い賃金でその日暮らしの派遣社員・アルバイトが増加しています。

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