農奴

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奴隷制度を終わらせた産業革命による生産過剰。奴隷が解放されて消費者になった歴史。奴隷が不要になり、必要になった熟練労働者たち

  • 11 January 2017
  • のぶやん

奴隷制度を終わらせた産業革命

産業革命が起こってくると、アメリカ北部で工業が発達するようになって、奴隷を使って工業生産を行う事が非効率になってきました。賃金労働者の労働意欲は奴隷に比べて高くて、賃金労働者であれば、知識を身に付けるという向上心もあります。奴隷のように言われた作業だけを単純に行っているような生産スタイルと言うのは、非常に効率が悪くなってきたのです。必要とされたのは、熟練した機械工労働者であり、奴隷ではありませんでした。

奴隷制度というのは、奴隷を商品として買ってきて、それを一生涯に渡って働かせておく事で農作物の生産を行うものでした。しかし、工業化が進んだ場所で奴隷自体が必要なくなっていく事になり、奴隷制度が衰退します。イギリスでは、1930年代に奴隷が廃止され、アメリカで南北戦争が起こっていく事になります。

奴隷から労働者への転換

当時のアメリカで必要とされたのは、熟練した工業労働者であり、奴隷は何の役にも立たなくなっていました。生産面で役に立たない奴隷を囲い込んでおくより、『奴隷解放』を行って、自分たちで生きて貰った方がいいと考えたのが奴隷解放宣言(1862年)です。イギリスで奴隷制度が廃止されてから、30年を経てアメリカも奴隷制度の廃止に向かっていく事になります。

黒人は、奴隷解放宣言から身分が自由であるとされましたが、当時の黒人奴隷に教育を受けたものはほとんどおらず、読み書きできる人も僅かでした。このような状況で、奴隷解放された黒人がまともな職業で労働者として働くのは困難で、非常に低賃金の単純労働を行っている状況に変化はありませんでした。そして、アメリカに黒人差別の法律は残り続けました。

奴隷から没落農民を雇用した農奴制

ローマ時代などに行われた半奴隷制度は、農奴制と呼ばれています。ローマ時代の大土地所有者は、奴隷の供給が減ってくると、その代わりとして自作農を放棄した農民を雇い入れていきます。こうした農民は、日本でいう小作農で『農奴』と呼ばれました。その土地に完全に拘束されるので、移転の自由がなくて生涯その場所で過ごすことになります。産業革命以降の農民の姿『農奴』は、ほとんど奴隷境遇と同じような状況にあったとされています。

奴隷を使った大規模プランテーション農業が発達した事によって、自作農が没落していったとされています。奴隷の労働力を使って大規模に行う農業形態の発達は、中小自営の農家にとっては脅威だった事が分かります。日本においては、田畑などの生産手段を私有している『自作農』は、貧困やむなしに田畑を手放して小作農になると、非常に悲惨な生活が待っていました。

現代におけるサラリーマン奴隷

現代におけるサラリーマン奴隷労働者は、昔に比べるとかなりマシな奴隷ではありますが、それでも奴隷労働者の賃金が上がらず、格差がどんどん拡大しています。日本が戦後に自作農になった人たちが田畑を捨てて、都会に就職してきたころは、年功序列・終身雇用などと言われて保護される権利がありましたが、それも崩壊してきました。終身雇用・年功序列などの保証がなくなると、生産手段を何一つ持っていない労働者は、収入を増やす手段がない時代になってきています。

いつの時代も、奴隷にならないためには、『生産手段』を持つことが必修になる。生産手段を持たない人は、誰かに使われて賃金を貰うしかないからです。今まで自分で生産手段を持たない人が『生産手段』を持つためには、他の人が消費にあてるお金を生産にあてるなど、『我慢』が必要になります。我慢なくして、生産手段を保有する事はできません。

生産手段を自分自身が持つ自信がないのであれば、我慢の上でお金を貯めて、生産手段を買いましょう。

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