情報格差

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大手メディアの1枚の写真に騙される時代は終わった。

  • 25 June 2015
  • のぶやん

かつては、戦場の映像を撮影するのが難しくて、1枚の写真などがインパクトを持って伝えられた事などがありました。それが真実であるかどうかは別として、1枚の写真が多くの人々に影響を与えたという事が数多くの事実としてあったでしょう。しかしながら、そうした1枚の写真のインパクトで勝負する時代というのがようやく終焉をむかえつつあるのかなと思ったりする訳です。人々は、インターネットを通じてより多くの情報に触れられるようになっていますし、情報を自分で集める事も可能になっています。

情報を集めて判断するという行為がある訳ですけど、それ以外に「自分が情報の発信者となって社会に影響を与える」という事がインターネットの特徴でもあります。情報の発信する内容については別に何でも良くて、ファッションでもいいでしょうし、料理でもいいし、政府支持のないようでも、反政府の内容でも、それに共感してくれる人がいて、情報が多くの人の役に立てればそれが「社会に影響力を与える」という事なのだと思います。

生まれてくる情報の格差

情報の格差というものについて理解するのは難しいのですが、情報を持っているものと、情報を持てないものの格差というのは、限りなく広がってきているという印象を受けます。先ず、若者と高齢者の情報格差というものが存在していて、明らかに高齢者の方が情報をテレビ・新聞から得ていて、若者がインターネットから情報を得ています。何が違うかと言えば、若者の多くが情報を発信する側にも立っているのに対して、高齢者が単なる受信者となっている事が多いという事です。

フェイスブックにしても、ツィッターにしても、インスタにしても、もちろんブログでも、情報を発信する側に回っている人は、周囲の人を中心に自分が影響を与える側に回っているのですけど、高齢者などは情報を受ける側でしかないので、一方的に受信し続けて、自分と言うものを失って、洗脳される可能性が極めて強いと言えます。そして、洗脳された大量の高齢者によって、現在の日本はもう少しで日本の繁栄も崩壊しようとしています。少子高齢化の中で国債の発行残高が増え続けてマネーの流動性が鈍って非常に危険な状況です。

情報を作り出す側

情報格差の中においては、情報を生み出す側・作り出す側が強くなっています。情報を生み出したり、作り出すというのは、情報を受信するよりも高度な作業というか、人々に少なからず影響を得た得られる作業となります。以前とは違って、インターネットを使って誰でも情報を発信できる時代になっているので、情報発信をする側として社会に影響力を与えていける人が若者の中に少しずつ増えているのが日本に限らず、世界にとっても大きな変化であると考えています。

北アフリカの「アラブの春」などというのも、誰かが発信した情報がインターネットで拡散された事によって、政権打倒に向けての実際の行動が生まれたという事で、政治的な構造を変化させる要因ともなり得る時代になったと言えます。日本においては、かつて安保闘争などがありましたが、インターネットがある現在においては、ああいった活動の形も路上に出て闘うという単純なものではないと考えられます。

情報格差というお金の使い道

情報を持っている人と情報を持っていない人の最大の違いと言えば、「お金の使い道(消費活動)」だと思うのです。情報を持つ事で、人間というものは、合理的な判断に基づいて消費活動を行う事が出来るのだと思います。情報を保有している人は、一般的な判断とは別の判断基準を持っており、その判断基準に基づいて消費活動を行っていれば、最終的に非常に合理的で、かつ別の人が実現できないような次元のレベルで勝ち残る事ができると考えます。

情報を持たない大衆が「こんな所にお金を使うのは、金を捨てるようなものだ」と言われたとしても、確固とした情報を持っていれば、そこにお金をつぎ込むことができます。例えば、日本がバブルの時代に中国にお金を投下する事が可能であれば、資産は大きく増えていた可能性があるでしょう。もっと分かりやすい情報格差の例を以下のAKB48の握手会の例で示すとします。

AKB48の握手会にお金を使うオタク

私は1度も握手会に参加した事が無いので分からないのですが、AKB48の握手会に参加しているオタクの友人に聞いたところによると、AKB48の握手会に参加する事で、「アイドルに直接触れる事ができる」というのはもちろん嬉しいのですけど、それ以上に嬉しいのが「アイドルに覚えて貰える」という事のようでうす。アイドルに覚えて貰う事によって、もっと近づけるという事がアイドルオタクにとっての喜びのようです。

確かに「アイドルに会って触れ合う」という事にお金を使うのはいい事なんですけど、アイドルと付き合いたいと思うのであれば、自分の見た目を磨く事に資金をつぎ込んだ方がアイドルに近づけると思うのです。アイドルと握手する事は、アイドルに近づくという目的を果たす上で近道なんですけど、本質が「アイドルと付き合いたい」という事であれば、自分に磨きをかけてアイドルに直接会うという事にお金をつぎ込むという方法もある訳です。自分がアイドルに認められるぐらいの良い男性になれば、アイドルに簡単に近づく事ができます。

資本主義におけるお金の構造

中国人が3600万円でAKB48のアイドルを1位にする為に投票権を買いまくったとありますけど、AKB48のコンサートを開催するのは、1時間あたり400万円ぐらいで呼ぶ事ができます。来てくれるかどうかは別として、お金を払えばアイドルグループをイベントに呼ぶ事は可能なんですね。だから、3600万円ほど支払えば、自分の為にコンサート開催という事もできるはず(恐らくは前払いだとやってくれると思う)なんですね、つまりスポンサーの側に立ってアイドルと付き合うという事ができる金額。スポンサーは、握手どころかアイドルと一緒にカラオケに行ったり、LINE交換したりするのも別に当たり前の事です。

オタクの話を聞いていると「今までいくらAKB48にお金を使ったか分かりません」みたいな人がいますけど、仮に500万円をAKB48に使っていたとすると、それはAKB48の押し面をイベントに十分に呼べる金額なので、スポンサーとして呼んで、そこでサインなり握手なりをして貰う方が効率的と考えます。AKB48との付き合い方も、ファンだけどスポンサーとして支援するという方法もあると思うんです。

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「パソコンを持っていない人」と「持っている人」の情報格差が拡大!

  • 27 May 2015
  • のぶやん

最近、知り合いの中にパソコンを持っていない人が稀にいるのには驚きます。スマートフォンで何とかしようとする人が多いんですけど、スマートフォンで何ともならない事も結構あるんですよね。



動画の編集を教えてほしいというものだから、ノートパソコンを持っていないというので、デスクトップでも編集できると言うと、訳ありでXPだから微妙ですと。そりゃあ、動画編集を行うには、XPしか使えない時代のパソコンでは、厳しいものがありますね。XP時代のMovieMakerというものは、どんなものか忘れてしまいましたけど、単に動画を繋ぎ合わせて音楽を入れるぐらいしか出来ないと思います。結局、私のノートパソコンを使って動画の編集を教える事になったんですけど、本人に意味あったのかどうか。

もう、パソコンを持っていないようなレベルになってくると、何も教えようがありませんね。Youtubeで稼ぎたいとか、アクセスを集めたいとか言うけど、恋愛初心者が芸能人と付き合うようなもんじゃないでしょうか?パソコンを持っていない人が「スマートフォンから何とかできませんか?」という人が

本当に、本当に申し訳ない言い方で、偏見に満ちているんですけど、パソコンを持っていない人の多くが知的生産に関わっていない知能レベルが低い単純労働者だと考えます。簡単に言い換えれば、知的生産に関わる事ができない人ほどパソコンを持っていないと考えています。パソコンが必要ないというよりは、パソコンを購入してもそこまで使わないと判断しており、購入する余裕がないのでパソコンを買っていないのです。情報生産能力が皆無とまでは考えませんが、情報生産能力が限りなく低い。

広がっている情報格差

スマートフォンというのは、情報の閲覧器として機能するものであり、高度な情報を作り出すのには不向きな機器です。例えば、NAVERまとめだって、パソコンから編集するようになっていて、スマートフォンから編集できないようになっています。NAVERまとめを閲覧するのはスマートフォンからの方がいいかもしれませんが、情報を作り出すという意味ではパソコンからじゃないとダメなようになっています。動画なんて編集作業は、今の所はスマートフォンからだと簡単な編集しか行う事ができなくて、ある程度の動作に耐えられるパソコンが必要とされています。

例えば、Youtuberなどを見ても、Youtubeにアップロードする動画を機材を使って撮影して、それを動画編集ソフトなどを使って編集、投稿するという作業を伴っています。HIKAKINさんなどは、10代中盤からこのような動画で撮影して編集、投稿作業というパソコンを使いこなした作業を得意としており、10代から継続して知的生産を行って現在に至っていると考える事ができます。 そう、情報を生産するには今でもパソコンが不可欠であり、パソコンが無くては情報の生産に関わることはできず、テレビを見るような消費活動しか行う事ができないのです。

高速に能力を伸ばす事

パソコンを上手に使いこなすと言うことは、教育面においても非常に有効であると言われています。例えば、将棋の羽生善治さんは、インターネットを「高速道路」と表現しており、誰でもインターネット対戦などをやっていれば、プロの一歩手前まで強くなれると言っているのです。将棋のプロ中のプロと言われている羽生善治さんが、パソコンを使えば、プロの一歩手前までは誰でもなれるというので驚きです。同じように語学学習などにおいても、パソコンのソフトを使った方が英語教師から習うよりも、早く習得できる可能性が増えてきました。

このように情報をインターネットで仕入れる事が可能になると、学校に行く意味ですら問われる時代になってきていると感じます。学校に行かずに自宅でYoutubeでも見ていた方が英語力は高くなるし、その方が(科目が少ない私立大学であれば特に)大学に受かる可能性も高くなるかもしれません。時代を先取りしている人は、既にビデオ学習を主力に「非常に短期間」で、語学力を伸ばしたりしているでしょう。インターネットで本気でやれば、語学が伸びる速度は凄まじいです。語学力も、ネイティブの手前までは、1人で集中的に学習していた方が伸びる可能性があるという事でしょう。

簡単に使えるソフトウェア

現在、ビデオの機材が以前よりもずっと安くなってきており、プロじゃなくてもプロ並みの映像を撮影する事が可能になってきています。下手をすれば、iPhoneでもそれなりの映像を撮影できるようになってきます。更に言えば、ソフトウェアも誰でも使えるように改良されているものが多くなってきています。AdobeのPremire Proなどの動画編集ソフトも、1冊書籍を読んでいれば、誰でも編集ができるようになってきています。最短1週間ぐらい頑張れば編集できますし、1ヶ月も頑張ればプロと同じ編集技術を持つ事ができます。

このような編集技術で競争できない時代になってくると、競争力は単なるセンスの問題になってきたりしています。センスが良い動画、悪い動画。短時間で良質のものを仕上げる事が求められるので、更に簡単にコピーしたようなものが大量に出回るようになります。NAVERまとめのような感じで、簡単にガンガン情報を作り出すプラットフォームも出てきて、情報も以前に比較してもかなり簡単に作れるようになって来ました。

動画編集も、ある程度慣れてくると、マニュアルみたいにいろいろとパターンが身についてくるので、そのパターンの中で作っていくことになりますが、多くの動画のパターンが似た様なものになっているので、CMなども「飽きられている」というのが正直なところなのかなと思ったりします。

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