2015年4~9月期のフジテレビの決算は、開局以来初めて営業赤字に陥りました。これは偶然でも何でもなくて、新聞が落ちる次はテレビの視聴率が落ちることぐらい誰でも分かっている事でした。しかしながら、フジテレビの状況というのは、他局に比べても非常に厳しい状況になっている訳です。赤字が改善されていけばいいんですけど、赤字が慢性化していくと、事業を縮小せざる得ない事になりかねませんから。
今後のテレビ局が非常に厳しい状況
今後のテレビの対抗馬となっていくるのがYOUTUBE REDであることは間違いないでしょう。この腐ったネーミングのYoutubeサービスではありますが、広告を排除して定額制の課金でユーザーに番組を提供するという事になっています。簡単に言ってしまえば、今まで以上に質の高い番組ができる可能性があるという事でもあります。課金のビジネスモデルだと、広告がまったく入らなくても収益になる点が良い点ですが、無料ではないのでユーザー側からすると質の高い番組が求められます。
従来の広告モデルを中心としたYoutubeでは、個人が部屋で撮影して出すものなど、面白いけどテレビ局のものに品質で太刀打ちできないものがほとんどでした。もちろん、映画などを出したとしても、広告を付けて配信していたのでは採算が取れませんでした。そもそも、映画などの長時間コンテンツは、広告が配信されないで見るのが一般的であり、Usenが手掛けたGyaoなどを見ても、広告が入って長時間コンテンツを成功させることが困難である事が分かります。
テレビが更に低迷する理由とは?
テレビ局は、その多くがチャンネルが少ないので編集して流すのですが、編集して流した場合には、「見たいものが見れない」という状況に陥ってしまうのです。例えば、山本太郎さんの演説を最初から最後まで聞きたいと思っていた人がいたとしても、ニュースで流れてくるのはその一部のみです。山本太郎さんだって、自分の演説は最初から最後まで聞いてほしいと思っているし、それを望む視聴者がいるにも関わらず、山本太郎さんがニュースで報道される時には、その発言の一部しか使われることがありません。言い換えれば、テレビ局が山本太郎ファンが要求している事を届けることができていないという事になり、大変に勿体ない事をしているのです。
その一方で、Youtube上になると山本太郎さんの演説が最初から最後まで撮影されたものが出回っていて、その再生時間は10分とか15分とか短いものですけど、それを1万人が見たら凄い時間になる訳です。しかも、その動画というものは、スマートフォンで撮影されたようなものでテレビ局に比較すると非常に安価に撮影されたものであって、テレビ局のように大きなカメラで複数のスタッフが撮影したようなものではありません。今後は、個人が撮影した動画が更にYoutubeなどにアップロードされるようになるので、テレビ局が更に厳しくなるのは時代の流れから行って当然と言えるでしょう。
質と量の両面からのアプローチが必要
テレビ局の番組というのは、質という面ではYoutuberなどを凌駕している内容です。それは当然ながら予算をかけて、人手をかけて作っているからであるのですけど、テレビ局にも1チャンネルしか保有していないという欠点が存在しています。必ずしもテレビ局の番組が視聴者のニーズにマッチするとは限らなくなってきてしまったのです。Youtubeなどであれば、質が低い番組が多いのですけど、大量に動画が置かれているので、その中から自分の好みに応じて動画を選択する事ができます。テレビなどを見ても番組が自分の好みに合わないと面白いと感じないですが、Youtubeで好みに合った番組なら1時間ぐらいあっという間に見ることができます。
Youtubeにアップロードされる動画の量というのは、凄まじい量であり、最近ではニュース報道が報じられる前に一般の市民が動画を投稿しているという事も増えてきました。言い換えれば、テレビ局がYoutube動画を編集・切り取る作業だけになっているという事です。Youtubeなどに動画が大量にあると、テレビ局が独自の面白い情報を配信するという事が難しくなってきていると感じます。巨大メディアで多くの人が視聴しているという事実もありながら、そのメディア性というのは、インターネットの動画サイトに侵食し始める動きが強まっているのです。
インターネット業界では、、量で勝負するような事が多くて、例えば「まとめサイト」というのは、2ちゃんねるなどから大量にまとめて検索エンジンで上位を取るというビジネスモデルでした。ただ、このビジネスモデルだと、質が本当に高いとは言えないと思うのです。1回1回軽く消費するという感じのもので、似たようなまとめが大量に出回るようになっています。質としてそれほど高くないと言われているので、投資家から投資を受けたり、他の人に売却などに持ち込むのが至難の業とされています。こうした量産スタイルのアプローチだけではなくて、量産したもので稼いだものを原資にして、質を高めるようなものが求められる時代になってきているという事で、両面が必要になるでしょう。