論文

炎上したWELQの要求が8000字の時代!なのに、大学の論文が僅か2万字!大学論文の大半がコピペと書き換えでは?

  • 4 December 2016
  • のぶやん

PCコピペできる時代において、大学の論文は、ほとんど無価値と言っても良いでしょう。単なる学生の練習機会ぐらいのものであり、20000文字の半分が引用、半分がパクリと書き換えで出来ていると考えられます。簡単に言ってしまえば、大学生の論文というものは、大学生にとってみると練習機会とはなりますが、学術的には何ら意味のないものであり、意味があるものは1000本に1本あるかないかという事になります。

この傾向というのは、どの大学でも似たようなものであり、大学の先生が学生に期待するところも特に何もないと言って良いでしょう。大学生がこのようになってしまうのは、そもそも大学入試などというもので無意味な勉強に時間を費やした結果、本当にやるべき有意義な勉強を出来なくなってしまった結果とも言えるでしょう。例えば、古典の概念などを学ぶのは良い事ではありますが、漢語などを学んで何になりましょう?それより実用を考えるのであれば、中国語を学んだ方がいいわけです。英語なんて酷いもので、高校教師など英語が全く話せず実用的にほど遠いのです。

大学生が書く論文の半分が書き換え

大学生の論文は、ほとんど無価値であるばかりではなくて、引用元がWikipaidaであったりするなど、本当にメチャクチャです。大学で何を教えているのか?と思いますけど、何も教えていません。簡単に言ってしまえば、大学側が学生から搾取を繰り返して、意味のない無駄な授業と立派な建物と施設にお金をつぎ込んで、学生には何も教えていないのです。本気で大学が学生の事を考えるのであれば、教員を大幅に削減してビデオ学習が良いでしょう。その方が効率的で良い先生から教わる事ができる。今の大学というのは、高校生のような授業を講師が繰り返して教えるなど、高額のお金を取りながら意味不明の教育機関と化しています。

大学生の卒業論文などというものは、まともな指導教員の基で行われておらず、ほとんどコピペで最後の1週間に頑張って仕上げましたみたいな内容になっています。大学生としてはそこそこ頑張って書き換え、切り貼りをしたのでしょうけど、、、その内容というのは、WELQと同じレベルです。適当に外部のサイトを検索して、友達から聞いた方法でぺたぺたと。実際には、この傾向は世界中どこの大学でも一緒で、有名大学とされるところでも半分以上の学生がコピペをやっていたという情報は出回っています。それで大学側が『コピーを検出するソフト』を使っていますけど、翻訳したり、書き換えたりすれば全く検出できません。

WELQが炎上してコピペ大学が炎上しないのは、大学のものは『みんながやっているから炎上できない』というだけのこと。

理化学研究所の小保方晴子研究ユニットリーダー(30)が早稲田大学に提出した博士論文について、学位審査員の一人だった米ハーバード大教授のチャールズ・バカンティ氏が「読んでいない」と話していることが分かった。小保方氏の論文を巡っては、米国立衛生研究所サイトからの約20ページにわたるコピー&ペースト問題が浮上しているだけに「ザル審査」の疑惑も一層強まる。
http://www.j-cast.com/2014/03/20199793.html?p=all

学生論文の大量生産は可能

学生が3か月~半年ぐらいかけて書く学生の卒業論文というものがありますけど、昔のように学生の論文自体が価値を持つことはほとんど皆無になってきています。大学院生の論文ですら内容がどうかというのは、非常に怪しいところです。学校で重視されているのは、今まで勉強したものを使って良い文章を生み出しましょうという事であり、今までのいわゆる『古い物』を学ぶことになる訳です。

大学生の論文レベルであれば、インターネットのWikipadiaを切って貼り付けたぐらいのレベルのものです。それは、理系であったとしても同じことで、まあまあの出来栄えが良ければ、採点している教官は悪い点数を付けずになるべく良い点数を付けるようにするものです。言いかえれば、それまで『全く金にならず役に立たないものばかり学んできた学生』は、金の作り方を全く知らず、純粋なままに労働者に仕立てあげる訳です。

大学でビジネスをまともに教えない理由

大学でビジネスをまともに教えないのは、稼ぎ方を教えてしまうと、誰も労働者をやりたがらなくなってしまうからでしょう。高校・大学で重視されるのは、その知識が必要か、必要でないかというよりも、『しっかりと企業のいう事を聞くような人材で、基礎知識を押さえた人材を育成しよう』というのが目的ですから、お金を稼げる人材を育成しようと思っていない訳です。

日本企業に競争力があって、日本が新しいビジネスを生み出さなくても、人口が増加する中で勝手に会社の中で新しいビジネスが生まれる時代はそれでも良かった。大学は、単なる労働者の供給機関として、学生は大学生活をエンジョイしていれば良かったんだけど、今ではそうはいかないでしょう。グローバル化の中で他国の人材育成が活発に行われていて、中国では大卒600万人もいる。中国の大学生は、基礎的な部分で優秀な学生が多いんだけど、新しいビジネスとか、社会の仕組みとかに無頓着で純粋。

学生が企業で使い物にならない

新卒が企業で使い物にならないとされているのは、学校で学んでいる事が実践とかけ離れているからです。何と言っても、教員の中には社会人経験というものがなくて、研究畑で生きてきた人がほとんどで、教員自体が学術的な事に関心が向いている事が多いのです。

学生が企業で使い物にならないのをどうにかすべきだと思います。これは、日本だけの問題ではなくて世界のどの国でも若者が使い物にならないので失業率が非常に高い状況になっています。特に最近では、デジタル化した社会において、若者がデジタル化に対応していないという問題点も指摘されています。文系だからという理由で、全く理系の知識がないとか、プログラミングを全く学校で勉強してこなかったというのは、致命的なわけです。必修科目が多すぎて、人材にあまりに偏りがなく均一化された結果、特徴的な人材がいないという状況になっています。

WELQ8000文字で4000円

大学生が書いている論文は、WELQよりも多少マシかもしれませんが、WELQを少し書き換えて論文風にしてみたら、大学の学術論文のようになっていくでしょう。全く医学の事を知らなくても、1時間ぐらい『勉強したふり』をして、それなりに文字数だけ稼いで文章にしたのがWELQですけど、一般人から見ると、それでも専門的な人が書いたものと同じような文章なので、別にそれでもいいと思って読むわけです。

大学生の論文の価値は、文章を書き換えた価値であり、2万字で1万円~2万円ぐらい、もしくは無料といったところでしょう。学術的に無価値なばかりではなくて、文章としても読む人がいないという経済的にも無価値なものが多いです。

オリジナルが評価されずリライトが評価されてる

検索エンジンは、『オリジナルであるかどうか』であったり、『ユニークである事が重要』などと言ったりしていますが、その実態としては、他のサイトからコピーしてきたものをリライトして積み重ねたものであったら悲惨です。そうしたリライト記事が検索エンジンで『本来のオリジナルサイト』よりも上位に表示されていて、リライトである事を隠していたりすれば、本当に悲惨な事です。NAVERまとめの場合には、コピーかもしれませんが、リライトではなくて引用という形式を取っているので、どこから引用したか分かるのですが、WERQの場合にはリライトなのでどこから引用したかも分からない問題があります。

結局のところは、検索エンジンの精度が人間の目で見たレベルまで高まる必要性があり、それを考えるとNAVERまとめのように『人がまとめた方が最終的に勝つ』というのも、その通りなのかなと思うようになりました。コンピューターがいくら発達したところで、人間を満足させるのは、人間によるサービスなのかなと思い始める訳です。

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PCコピペで「大学レベルの論文」に価値が無くなった時代!デジタル化で文章コピーが当たり前!

  • 17 September 2012
  • のぶやん

知ってました?中国のインターネット上では、引用するURLを文章の最後に付ければ、「文章をそのままコピー&ペースト」が認められています。中国などの個人ブログ上においても、ほとんどコピペだけで済ましている個人が大半です。

日本だと、新聞社の書いた内容をコピーしたりすると、最後にURLを付けたとしても、著作権違反で訴えられる危険性があります。しかし、中国の場合には、メディアすら同じようにコピペ文章しているので、お互いに何も言わないのです。中国は、コピーの文化は世界で最も発達している国であり、それは既に「当たり前のこと」として国民に浸透しています。

日本のメディアは脚色が激しい

日本のメディアは事実と乖離

続いてメディアの質についてですが、日本人からすれば意外に思えるかもしれませんが、日本のメディアと中国のメディアを比較した場合には、日本の方が脚色が多くて事実と乖離しています。中国のメディアの客観性は日本のメディアよりも高くなっており、そして中国メディアの方が報道の多様性があり、事実に近い内容を報道しています。

日本人は「中国は共産主義経済だからメディア規制されている」と思い込んでいますが、メディアの多様性が低い(言い換えれば新規参入が出来ないほど規制が激しい)のはむしろ日本の方であるというのが真実です。僅か3社(読売、朝日、毎日)が市場を独占している状況で、報道に異常なバイアスがかかってきます。

日本人はその事に気がついておらず、その事が日本を一体化させているというか、暴動などが起きない平和な国となっている要因とも言えるでしょう。一方で、こうしたバイアス自体がかかり続けていくと、日本の最も深刻な問題である少子高齢化であったり、国債の発行残高の問題などがどこまでも放置し続けられていくという事態を招き、最終的にどうなるかは歴史が証明していく事になるでしょう。

コピペが当たり前の大学論文

論文に価値が低い

日本の論文自体は、中国の論文より「マシ」ではありますが、日本も中国も学生論文はほとんど価値がありません。特に中国の場合には、100%に近く一字一句同じ文章を使っても良いので、大学の論文は1円の価値を生み出すものでもありません。30分ぐらいで終わる作業です。苦労する事は何もなく、多くの学生が最も苦労するのは、いかに文章を印刷した時の「表紙の見栄えを良くするか」という事だったりします。

中国の学生の多くは、単に適当に論文をどっかから探し出してきて、それを「100%同じ文章で」ペタペタ貼り付けて「引用しました」と言って最後に引用元を付けるだけです。それで大学の論文程度であれば通ってしまうんですね。学士論文ぐらいであれば、コピペを書き換えた程度で、実際に慣れた人なら数時間で書きあがります。日本は、中国より程度はマシですが、学士論文に使い物になる論文などほとんどありません。

クリエイティブである必要性ゼロ

中国の場合には、大学の先生ですら、かなりの部分をコピーに依存している国なので、コピーは罪でも何でもないんです。論文というよりは、文章の「まとめ文」と考えた方が良いでしょう。それだけ、試験の成績だけがよほど重視され、論文が軽視されます。クリエイティブである必要性は何もない国なのです。そして、そうした誰もクリエイティブな行動をとらないコピー社会を人々は「社会主義計画経済」と名づけました。

時代はいずれ新しいものを求める

いかに計画を立てようとも、計画というのは従来のものを基準にして計画されるので、時代が進むにつれて少しずつ計画と実態がずれていくのです。そして社会はやがて世界の潮流から遅れていって、いずれは崩壊を招くのでしょう。中国において5ヵ年計画で経済の全体像が決められますが、こうした過去の手法が通用しない時代に入ってきているのです。例えば、欧州危機などの状況で、中国経済が大きく揺らごうとしています。

言い換えれば、大卒の価値が下がる

大卒の論文は数時間あれば書ける

論文を図書館で調査して、それを基にして教授と話し合って論文を書き上げるという時代は、既に90年代には終了していたと言えるでしょう。現在の大学生の論文の書き方と言えば、単にウェブサイトを検索して、それをダウンロードして適当にコピペして、それを貼り付けて加工する作業となりました。パソコンを使うと書き換えるのが非常に簡単なので、慣れたら数十分の作業となりました。

多くの作業工程は誰でも出来る

大学の論文がコツを掴めば誰でも書けるように、ほとんどの企業の作業というのはマニュアル化されてきており、ある程度の訓練を積めば誰でも出来る状況になってきています。つまり、大学を卒業した人材であれ、高校を卒業した人材であれ、企業から見ると技術的な部分がほとんど変わらなくなってきてしまったのです。大学で何を勉強したのかと言えば、人付きあいであったり、社会でのアルバイト経験だったりする訳ですが、それで企業で通用するほど高いレベルに持ち込めるのでしょうか。

だけど大学の学費は高い

日本の大学では単位制を採用しているので、3年生までに単位を取得していれば、4年生は論文だけという人もいるでしょう。4年生は論文だけだというのに、学費は国立50万円-私立100万円ほどもします。以前であれば、大学は職場で言うオフィスのような機能があり、勉強する場所としてきちんと機能していました。しかし、現在はインターネットがあるので、大学に行かずに論文を書いたり、勉強する事が可能です。

大学としては、大学に来なくても良い学習方法をもっと発展させるべきで、実際に米国などでは無料授業などがインターネットで盛んに公開されはじめてきています。大学という場所は、既に勉強する場所ではなくなっており、1つの資格を取得して社会的地位を得るという目的で行く、一種の身分制度みたいなものになりつつあると考えた方が良いでしょう。

資本主義計画経済

デジタルを否定する人々

本来の国際競争で生き残ろうと思えば、コンピューターを率先して勉強していくべきだという事に異論を唱える人はいないでしょう。せめて簡単なプログラミングぐらいは出来ないといけませんが、高校の教員、大学の教員にプログラミングを出来る人材が揃っていません。英語の先生は沢山いますけど、彼らの英語能力は何故か外国人が驚くほど低いのです。英語の先生が教えるよりも、プロによるビデオ学習の方が良いに決まっていますが、何故かそうならずに多くの人が塾に通って巨額の支出をしています。

デジタルに対応できない世代格差

個人のパソコンが発達したのは、2000年を過ぎてブロードバンドが普及してからの事です。つまり、大学でパソコンを使い始めた世代と、それ以前の世代のパソコンに関する使いこなし方の格差が非常に大きくなっています。仕事がIT関係であったり、良くパソコンを使う仕事は別として、仕事で使わない人はパソコンの扱い方が不得意です。

特に経営者が60代、70代などであれば、コンピューターについて非常に疎い経営者が多く、パソコン用語を言ってもさっぱり分からず、ソーシャルネットワークを使ったりする事もなく、現在のマーケティングについて理解しなくても工場経営であったり、人脈を作る事が大事と大昔の考え方をしている経営者が多いのは、困ったものです。

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