日本では、資産ゼロ世帯が最多になっているという事です。30%もの世帯が「金融資産ゼロ」となっていて、いわゆる「貯蓄なし」状態となっています。金融資産の多くが高齢者に集中している日本では、ほとんどが20代-40代ぐらいのの「貯蓄なし」であろうと考えられます。
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資産とはどういうものか
資産というものはいろいろな種類が存在していて、単に「金融資産がないから貧しい」というのは無理があります。例えば、親がリッチ世帯であるにも関わらず、子供が貯蓄ゼロ世帯で暮らしているという世帯などが良くあって、自分の手元に金融資産がなくても、暮らしぶりは悪くないという事は良くあります。
収益性・非収益性の資産
資産には、収益を得る事ができる資産と、収益が得られない(もしくは収益力が小さい)資産とういものが存在していると考えられます。例えば、収益性資産というのは、収益力のある不動産であったり、収益力のあるウェブサイトなどがそれにあたります。株式も配当を考えると、比較的収益力の高い資産になります。逆に収益力の低い資産というものは、現金資産(金利が極端に低いため)になっています。
このように一般的に収益力が高い資産というものは、天井なしとなっています。例えば、ある収益性の不動産が10億円の価値を持ったりします。フェイスブックのウェブサイトは、1兆円以上の価値、グーグル検索が1兆円以上の価値といった具合です。株価の時価総額という指標で収益性資産の価値が表されます。
労働性資産の収益力
ここで問題になるのは、労働性資産が収益力が高いか?低いか?という事になります。労働性の資産に関しては、簡単に言えば若ければ価値が高くなり、経験が多ければ価地が低くなります。
点数化するならば、20代、30代頃が年齢としての価値が高くなり、40代で経験値などの評価が高くなる傾向にあるでしょう。このような労働性資産の収益力は、「年収」という形で各自の価値として現れます。女性の結婚する時に男性の年収が高い方が良いとされるのは、収益力の高い男性を買い付けて将来的な収益を確保する狙いと見てとれます。
労働力資産は、年収という形で各自の評価軸となりますが、若さは誰にでも平等に与えられるもので、若い時の「アルバイト」ならば、ほとんどの人が働く事ができます。これが30代、40代になってくると、収益力は若さよりも学歴・資格・実務経験などに移行していきます。
非正規社員と正社員
日本企業の労働力における収益性から考えると、非正規社員と正社員で2-3倍ほどの格差があるとされています。例えば、非正規社員が月額15万円の給料であるのに対して、正社員が30万円という具合です。年収にすると非正規社員が200万円で、正社員が500万円という具合です。
非正規社員と正社員は、全く同じような労働をしているようで、給与が2-3倍の開きがあります。その非正規社員と正社員の違いは、収益性資産を保有できるか否かにあると考える事もできます。正社員が会社の資産の一部を保有する事を認められているのに対して(つまり利益からボーナスという形で配分される権利の保有)、非正規社員はその権利を認められていません。
これはどういう事かと言えば、社員が労働性資産の提供を会社に行う一方で、社員としてのボーナス権利(利益が出たときにボーナスを得る権利・株式保有に近い)を保有していて、これが労働者の意欲を高めると考える事ができます。社員の転職意欲を抑制して、会社への忠誠心を高める事ができて会社の成長に寄与します。
労働性資産依存の危険性
労働性資産というものは、自分の体を使った労働力資本によって収益を得るスタイルなので、誰もが一定以上の収益力を持つ事ができます。若さ・学歴・資格・実務経験などがあれば、収益力を更に高める事ができるでしょう。ただし、労働者の誰もがそうした競争を行う事になるので、頑張ってもそれほど収益力を期待できないかもしれません。
特に先進国における労働者は、発展途上国などに仕事を奪われてきており、労働性資産に依存して、失業したら収益がなくなるという危険を含んでいます。いかに「失業保険」などの保険があろうと、労働性資産に依存する形では、自分の労働力が失われた瞬間に収益ゼロという危険性の中で働いている事になります。
労働性資産の価値低下
グローバル化の中で起こる事と言えば、企業が国をまたいで移動する事で、労働性資産の価値が低下する事です。多くの労働者の労働性資産の価値が自然に低下する傾向を見せています。労働性資産の価値が低下するという事は、相対的に収益性資産の価値が向上する可能性(ここは議論の余地がありそう)があると考える事もできます。
労働力のみに依存する、いわゆる「労働者階級」の地位が下落して、収益性資産を保有する階級(資産家といったりする)がますますお金持ちになるという構図が出来上がってきています。どのように労働資産以外の資産を保有するかというのは、多くの人にとっての課題とも言えるでしょう。
ポイントになる経営関与
労働性資産が価値低下を引き起こす中で、労働性資産を維持するためには、常に経営に近い立場で利益を出し続けるという必要が求められるでしょう。日本でもこの傾向が進んでいて、いわゆる「成果主義」というものの導入が進んできています。
言い換えれば、単なる労働力にそれほど大きな価値がなくて、企業の収益力を最大化させられる労働力にこそ価値があるという考え方です。当然ながら、単に言われた事をやる非正規労働者などには、企業の収益力最大化に関与するチャンスすら与えられません。
自分の持ちうる権限の大きさの中で、最大限の収益をあげ続ける労働者こそが、労働性資産の低下を起こさない労働者であると言えます。この最たるが企業の経営トップを株主から任されたCEOという事ができますが、CEOでなくとも「権限の範囲における最大限の利益」というのは、労働者誰にも任される命題となっています。経済が成長しない中における利益を出す手法を考える必要があるのです。
ニートという存在
ニートで「働きたくない」という人がいますが、その理由として考えられるのは、自身の労働性資産の価値が向上しないという「諦め」のようなものであると考える事もできます。アルバイトなどを行っても、将来的な自身の労働資産価値(キャリアと呼んだりする)が高まらないので、働かないという考え方です。
確かにアルバイトをしたところで、キャリアは全く高まらないので、労働資産価値は年齢の上昇と共に下落の一途を辿るわけです。しかし、ニートをする事によって解決する事はなくて、ニートをしていると、労働資産価値の下落、収益性資産の欠如というダブルパンチで、将来の貧困が約束されたようなものでしょう。
ニートのように「労働性資産の否定」を行いたいのであれば、何らかの収益性資産を考える必要がでてきます。そういったものが難しいと考えるのであれば、生きていく為に労働性資産に依存した働き方を模索していく以外に方法がないと言えます。
資産課税の不均衡
資産に対する課税というものを考えてみると、現金を保有しても「現金保有税」が発生しないにも関わらず、不動産を保有すると「固定資産税」というものがかかります。これは、不動産が現金を生む収益源となるので、それを保有する人は収益の一部を支払うべきだという考え方に基づいています。
これに対して無形資産(invisible asset)の保有に関しては、固定資産税のようなものがありません。ヤマダ電機がリアル店舗を構えると固定資産税がかかるのに対して、同じく収益を生じるネット店舗を構えると固定資産税がかからないのです。これは税の不均衡とも言える現象です。
フェイスブックは、そのウェブサイトから収益を得ているのですが、フェイスブックという無形資産に対して課税するという試みをしている政府は、世界中で皆無です。もし、フェイスブックほど収益を得るリアルの固定資産が存在したならば、それは莫大な税金を納付しなければならないでしょう。
政府の財源不足の要因?
日本の政府も米国の政府も借金漬けになっているとされていますが、その原因のひとつとして考えられるのが、無形資産(invisible asset)への課税漏れだった可能性もあります。例えば、グーグル社、アップル社、マイクロソフト社などの資産の多くは、オンライン上に存在しており、実際の店舗を持たないので課税が難しくなるのです。
更に言える事は、グローバルのインターネット企業は、多くの国をまたいでいる事を利用して課税回避も行っています。利益が出ているにも関わらず税金を支払わず問題になっている事は有名です。
マーケットのデジタル化
CDであったり、DVDなどがオンラインで見られるようになってきました。デジタル化が進展すると、CDやDVDなどを工場でコピーする必要がなくなって、デジタル化したものをオンラインで手に入れる事で全く同じものを手にする事ができるようになります。
デジタル化の時代では、レンタルショップに行く必要もなければ、本屋さんに行く必要もなくなります。まさに、多くのお店がデジタルで開店するので、部屋から注文すれば何でも届く時代になっています。そう考えると、マーケットでデジタル化できるものは全てがデジタル化されるので、デジタル化されていないものが滅びると考えられます。
デジタル化の流れ
デジタル化の流れは、産業革命で農業から工業における大量生産に移行したほどの破壊力を持っていると考えられます。工業化によって発達した「大量生産」は、同じ商品を大量に生産する事を可能にしました。
近年のデジタル化では、情報の大量生産がデジタルコピーによって可能になっています。世界中に出回るデジタル情報というものは、単にCDやDVDコピーによる娯楽情報だけではありません。学術情報なども即時に原文、もしくは翻訳されて大量の人が目にする機会となっています。しかも、モバイルでリアルタイムに見られるようになりました。
信頼性高い情報の量産
産業革命のような「大量生産」がデジタルの分野にも起こっていて、様々なジャンルの音楽を聴く事ができたり、映画を見る事ができます。それだけではなくて、NAVERまとめなどで信頼性が高い情報が大量に出回るようになると、その情報によって新聞社の排出する情報であったり、一部の大学の論文などの価値が下がる可能性がでてきます。
かつて「専門的な分野」とされた分野は、技術の発達によって、誰もが専門的な情報を発信する事ができるようになっています。その事は、専門性の価値を低下させて、従来の専門職であるとされた「新聞記者」であったり、「雑誌編集者」などの地位の低下を招く事が考えられます。更には、学術分野の研究の地位も低下させる可能性を秘めています。
教育機関としての大学が無力化
デジタル革命というものは何をもたらしたかと言えば、極端に言えば大学で受けていたような高度とされていた情報は、大学なんていかなくても、誰でもオンラインで安価に見れるという事になってしまいました。もっと簡単に言えば、大学の授業なんて全く価値のないものになっていて、高い学費を詐欺のように徴収している理由がわからないほどです。
最近の中国などで問題になっている「大学を出ても就職がない」というのは、大学時代に学んだ程度の「標準化された知識」というものが、それだけでは役に立たないものになっている事を意味しています。大学で量産された人材というものは世界中に溢れていて、それは過去における工場労働者程度の価値しかなくなってきています。