愛を通り越すと、相手の事が憎くなるとさえ言われています。過去に大好きだと思った人に対して、恨みを抱くのは、自分が大好きで尽くした事に対する見返りを求めている証拠です。付き合っていた後で「どうでも良い相手」になった、無関心で忘れたというのは、真剣な恋愛ではなかったということです。
嫌いという感情は、その人が頭の中に「とりあえず存在して考えている存在」という点では、意識の中にあります。無関心というのは、本当にその人の事が全く頭から離れてどうでも良くなるという事です。つまり、夢にも出て来なくなってしまうということです。
無関心の状態とは?
相手に無関心の状態とは、相手のことを質問したりしようと思わなくなるということです。挨拶すれば、当然ながらマナーで返してくれる。話しかければ、それに応じて返してくれる。しかし、自分から話しかけてこないのは、無関心の状態にかなり近い状態と言えるでしょう。相手の生活に対して関心がない=無関心です。確かに、嫌いな人にも積極的に話しかけませんが、無関心はそれ以上に相手の事を考える時間も全くないということです。
嫌いというのは、意識にあるけど避けたいという感情であり、交わる事が極端に少なくなった状態のはずです。例えば、多くの人が嫌いになったホテルに「二度と宿泊することはない」と決めているでしょう。もう、そのホテルとの接点はないけど、嫌いになった事実だけは記憶しています。ただし、嫌いという意識なので、もう交わる事がないというのも事実です。テレビなどでそのホテルが「オーナーガ変わって良いホテルになった」となれば、宿泊することもあるでしょう。
ホテルを嫌いになるのと同様に嫌いになった食べ物を好きになる事はありませんが、食べ方を買えたり、友達に勧められて好きになる事はありそうです。
無関心から好きにならない
無関心というのは、相手の情報を全く知らずにどうでも良いと思っている状況です。プロ野球に無関心の人は、プロ野球の情報を日常的に見たりする事はありません。ニュースなどで見ても、注目してみる事もありません。プロ野球の情報は、自分の中にある情報として扱われないことになります。
無関心=全く知らない人というのと似ている状況であり、意識の中に全く存在しない、会話に現れない状況です。世の中に存在しないということは、認知されていないということです。
自分のことだけに関心を持ってほしい
人の誰もが、自分の事に関心が集中しており、他の人の事に対して関心を持っていません。自分に関心を向けてもらう意味で、SNSなどで情報を発信することが行われます。つまり、『皆さん、私に無関心にならないでくださいね』というメッセージの現れなのです。
多くの人は、自分をどのようにしたら他人に評価して貰えるかということを気にしており、芸能人などになると「知名度に応じてお金が貰える」という職業になっています。多くの人に認知して貰える事は、自尊心を高められる効果もあります。
嫌いの中身も様々
嫌いな人というのは、自分に対する嫌悪感の投影になっているという人もいます。友達がお金を持っていたら、嫉妬心でその人を嫌いになったというような例もあります。セクハラする上司を嫌うのと、彼氏を嫌いになるのでは、同じ嫌いの感情でも異なった感情になります。セクハラ上司を嫌うのは「嫌悪感による嫌いで危険性の予知」になりますが、彼氏を嫌いになるのは「好きすぎて恨みを抱いた」という嫌いの可能性があり、「自分が精神的にヤバい離れないといけない」という自己防衛の本能になります。
いずれにしても、人を嫌いになるのは、自己防衛の心理が働いている事は間違いなさそうです。近寄ると損をする人の傍には、誰も近寄りたいと思わなくなるものです。
人々の関心とメディア広告
メディアの広告というのは、人々の意識の中に関心を刷り込ませます。テレビを視聴して、ある人を「嫌いだ」と言ってる状況は、その人の事を知っているから言える事です。全く無関心のものを「広告によって強制的に興味を持たせる」ということで、人々の頭の中を支配するのです。過去には、国家が広告によって人々を洗脳して、戦争に突入したこともありました。