将棋に見る「人間の断片的な頭脳」と「パソコンの横断頭脳」の比較
人間は記憶の中から検索する事が出来るので、過去の質問を受ければ、記憶の覚えている範囲で応える事ができます。一方で、コンピューターに関しても、記憶・記録した中から検索する事は可能になっています。
コンピュータ将棋の強さ
コンピューター将棋の強さとは、今までに入力された様々な手法を検索して次の一手を考える『横断検索』になっています。人間の頭の中では、記憶から忘れたりするので、一定以上の記憶を行うには時間がかかります。コンピューターであれば、記憶できるデーターが膨大になるので、パターン化された横断検索に非常に強いという事になります。
将棋の場合には、既に使える駒の数が決まっていて、それをどのように動かすかという事だけが求められます。そのパターンは、将棋の駒×マス目の数となっていて、膨大な通りがありますが、コンピューターの能力は、この将棋の能力に達しようとしています。つまり、単純なパターン化された中では将棋の方が強くなっているのです。
それでも棋士が生き残る理由
コンピューターの方が強いにも関わらず、棋士が生き残る理由として、将棋をする棋士の個性が注目されるなど、多面的な人間性に面白さがあると考えられています。女流棋士などは、見た目が美人であれば、人気になってテレビに出るという文化人の枠でタレント化している人もいます。将棋で名前を売りながら、将棋に限らずに活躍の幅を広げている棋士が沢山います。
プロ野球選手は、人気になるのは野球だけではなくて、その人のキャラクターであったり、ストーリーなどになっています。松井秀喜のように見た目がイケメンと言えなくても、話がそれほどうまくなくても、野球で注目されると周囲がストーリーを作り上げてくれる形になっています。
文章を暗記する科挙システム
教科書に書いてある程度の知識のインプットをするのは、人間の脳に多くの引き出しを作るのと同じです。それは暗記教育な訳ですけど、それだけだと想定できない引き出しというものが世の中の事象に現れた時に対処できなくなってしまいます。その一例としては、官僚制が取られていた中国において、隋から清の時代まで、約1300年間も科挙によって官僚の選定を行っていて、誰でも受けられる公平さは、中国の発展を支えたとされています。中国では科挙試験が全てでしたが、西洋では、大学として発展していきました。
この科挙の試験は、倍率3000倍で合格者の平均が36歳などという暾でもない難易度の試験で、今で言う東京大学に合格するよりも更に難易度は高かったとされています。現在の中国でも試験に対する情熱は引き継がれていますが、その一方で科挙の合格者と同じく『それ以外の事に無関心』という事が問題になっています。欧米と比較して時代遅れになった科挙のシステムは、1904年に廃止されました。
コンピューターを使いこなす
現代社会においては、いかに情報量が膨大に入ったコンピューターを使いこなすかという事が大きな課題になっています。人間が暗記するなど一生涯かかっても到底不可能なほどの文章というものが小さなコンピューター上に収納されていて、それをどのように使うかと言う事が大事になってきました。
情報の発信量と言う点では、情報量が文字情報に比べて非常に多い動画の情報発信も重要になってきています。最近では、実務的な訴訟の書式などの書き方がインターネットで出回るようになり、弁護士などの仕事がなくなってきたと言われています。弁護士は、アドバイザーとしていれば良い存在になってきたという事です。