士族というのは、労働しなくても食べていけるという事で、ローマ市民と同じく『自分たちで労働することは卑しいこと』と考えるところがあったでしょう。しかし、江戸時代後期になると貨幣経済の発展に伴って、大名・武士が商人に借金をするようになっていき、多くの藩において武士の生活が苦しくなって行く事になります。
武士の特徴というのは、簡単に言ってしまうと、紙ぺら1枚で誰かを労働させる権利を持った人たちであったという事です。彼らは武器を手にしており、『切捨御免』の権利を持っていました。戦国時代には、統治者が農村を保護するという役目もありましたが、平和な時代が続いた事によって、統治者の役目がどんどん薄まっていく事になりました。明治維新によって士族と言うものがほとんど名目上のものとなり、戦後に廃止される事になりました。
武士の特徴であった『労働しなくても食べていける特権階級』という人たちの多くが転落して、それに代わって商人たちが資本主義の特徴である『株式システム』を利用して労働者を使う事によって、労働しなくても食べていける特権階級になり替わっていく事になります。
武士が労働者に変わった時代
江戸時代が末期になると、武士が商人に借金をしていくようになります。下級武士になると、俸禄(給料)というものは少ないものだったので、内職しないと暮らせないという武士の暮らしがありました。今日も、市役所で働いていたとしても、派遣社員・アルバイトなどの生活は大変であり、下級武士もそれぐらいのものだったと考える事ができます。
労働しないで食べていく為には、誰かの労働力を搾取しなくてはいけません。武士は、特権階級と言う事を活用して、文章の読み書きなどの知的労働を行う代わりとして、農民などから搾取を行っていました。農民・商人の前で偉そうにしていた武士階級ですが、幕末から武士の必要性が失われてくると、商人の力が増してくるようになってきて、武士が搾取するどころか、逆に商人に搾取されるようになっていく事になります。
武士は搾取する側にいた訳ですが、俸禄(給料)が少なくなったり、無くなったりすると、自分たちの生活を支える収入源を失う事になりました。また、商売をやろうとしてもそのスキルもなく、『武士が商売をする』という事が和来のネタの落語になっているぐらいです。現代社会においても、昔のように農地・資産を持っている人は少数なので、会社を辞めると全く稼げない状況になり、一生涯に渡って労働で稼がないといけない人が大多数です。
日本企業における労働供給
日本企業では、人口増加に伴って大量の高卒・大卒の新卒採用を行う事が定着しており、現在でも新卒採用が行われています。新卒に期待している事は、何よりも『安い労働力』であり、新卒を安い労働力でこき使う事によって、企業を底辺から支えて貰おうという狙いがある訳です。最近では、少子高齢化の影響で、特に中小企業で新卒を採用できない企業が増えており、企業全体の高齢化が進んでいます。
ローマ帝国で国土の拡大が終わって奴隷供給が少なくなり、それによってローマ市民の没落と、没落したローマ市民が奴隷の代わりに労働をし始めるという事態が起こってくる訳です。日本においても、新卒がいなくなって安い労働者が少なくなってくると、それを派遣社員・アルバイトなどに置き換えて単純作業を行わせる状況になっていました。もしくは、今までの課長レベルの人たちが単純作業まで合わせて行わなければいけない状況になってきました。
日本企業の技術力が大幅低下
日本企業の内部留保が400兆円と言われていますが、それでも日本企業の技術力がどんどん落ちていると言われている背景には、日本の労働者の技術力が著しく低下している事にあります。新卒大量採用などで行う業務は、基本的に誰でもできるような単純作業であり、銀行の窓口などがそれに当たります。高度な教育を受けたとしても、単純作業では意味がありません。また、グローバル化の中において、業務内容が単純だと給与も安いものになってしまいます。
日本の技術力が失われて、日本人が外国人の奴隷になっても『日本企業のストックホルダー』が生き残るという考え方ならそれもありでしょう。しかし、そんな事をしていたら、日本という国の未来が全くないという事になってしまいます。また、日本を主要な市場にしている日本企業も、その多くが潰れてしまうでしょう。
日本企業では、新卒採用を行っていますが、1年以内に3割が辞めてしまいますが、わざと辞めるような労働体系にしています。安い給料でもバリバリ働いてくれる人だけが企業に残ってくれれば良くて、労働条件が悪いながらも我慢して働いている奴隷以外は必要とされていないのです。
技術を保有するのは労働者
お金が世界中に余っていますが、そのお金が教育などに使われないと、国家の衰退を招きます。それは、お金がいくらあっても技術が発展するには、人材と時間が必要になるからです。お金の投資でお金を増やすようなやり方をしても、肝心の技術力は向上していかないので、生産力が高まる事はありません。
株式を保有する人たちが短期利益を考えて、労働者の技術に対してはお金を支払わなくて良いという考え方をしています。もしくは、同じ技術力であれば、中国の労働者を使った方が安いと考える人もいるでしょう。頑張っても無駄だという空気は、日本企業の中でまん延しています。
技術開発というのは、長い年月がかかる上に、成果が見えづらいので多くの労働者が技術開発を避けるようになります。技術開発を行うよりも、手っ取り早く稼げる営業職などをやっていた方がずっと『評価もあがって楽に稼げる』状況になるからです。長期的に頑張っても報われる事がない社会になると、多くの労働者が短期的に報酬が貰える方向にばかり目を向けるようになり、将来的な技術開発・発展を行えない状況になります。
実際に労働する人の重要性
三菱重工が豪華客船を作ろうとした時に、低賃金で安い労働者を大量に集めようとした結果、日本人は危険な作業を誰もやりたがらないので集まらず、外国人労働者ばかりになってしまいました。その結果、現場の意思疎通がうまく取れなかったり、そもそも労働者として全くやる気がなかったり、重労働を押し付けてトラブルになって、三菱重工の客船ビジネスは2000億円以上の赤字を抱えて撤退する事になりました。一時的に労働者を雇用すれば物が作れるという机上の空論は成立しなかったのです。
技術力というのは、実際に現場で労働する人のマネジメントを含めたものになります。外国人労働者に技術を教えても、その場限りになってしまうので、教える側も熱心に教えようとしません。また、外国人労働者の側も応用がきかないような労働に対して熱心に仕事をしようとはしません。雇用体系をしっかりと整備した上で、お互いに納得した形で業務を行う事が大切になります。
日常的に搾取される労働者
多くの労働者は、『労働者にお金を配る必要性』を訴えていますが、私たちが搾取されているのは、働いている企業の内部だけとは限りません。例えば、フェイスブックは無料で利用する事ができますが、私たちは無料で利用できると考えて利用しながら、フェイスブックはそこから莫大な利益を上げています。つまり、私たちはフェイスブックの為に無料でコンテンツを提供している、つまり無料で労働を差し上げている事になるのです。
ニュースのようにコンテンツを配信した場合には、それに対して報酬が支払われます。フェイスブックで情報共有しても、インスタグラムで情報共有しても、本来であればそれに対して労働者としての報酬が支払われるべきなのです。それが支払われていないという事は、フェイスブックに搾取されているとも言えるでしょう。いいえ、企業の場合にフェイスブックを一種の広告ツールとして利用しているので、搾取されているとは言えないかもしれません。しかし、企業ではなくて搾取されているのは個人という事になります。
企業の利益の上げ方
多くの日本企業では、労働者からの搾取によって利益を上げようとしていますが、それでは限界があります。また、企業減税のように政治的な癒着によって利益をあげようとしていますが、それにも限界があります。企業のマネジメントであったり、技術力を向上させて、企業自体が価値を生み出す主体となっていかないと、企業として長続きしていく事は難しいでしょう。
業務が増えて儲からない
日本の少子高齢化などで市場が縮小していく中で、業務がどんどん増えていくにも関わらず、全く儲からないという事が起こってきています。例えば、外食産業などで店舗数が増えて売り上げが拡大しているにも関わらず、利益は全くでないという状況です。ある程度の規模がないと安く仕入れる事ができないので、どんどん出店して規模を追い求めていくのですが、規模を拡大した以上に顧客が安いものを追及する嗜好が大きいと、利益に結び付かないのです。
新しい事業を開始しても儲からないので、日本の多くの会社で行われている事は、古い事業のコストカットになっています。しかし、古い事業のコストカットだけでは、その事業が衰退していくと、収益源を失うという事になります。日本企業の多くが今、直面している問題は、そのような非常に深刻な問題です。また、ソフトウェア化が進んだ社会においては、人材はますます不必要になってきて、高い人件費をカットして利益を出そうとする企業が増えています。
古いマネジメントが通じない
かつてのように銀行業務、証券業務などで、大学を卒業した人が窓口業務で年収400万円と言う事はあり得なくなってきています。簡単に言ってしまえば、銀行の窓口業務などの経験を10年ほどやったとしても、それを辞めると次の職業が見つからないという事が良く起こっているのです。銀行を辞めてコンビニのオーナーになるような人が良くいるという感じで、全く別業界でほとんど使いものにならない知識という事が良く起こっています。
マーケティング手法の変化
40代になって、『こんな学歴があって、こんな経歴があります』としても、それがマネタイズに結び付かないよね?という事になる訳です。芸能人でも、コネ・人脈があっても、人気が出なければテレビで生き残っていけない状況になってきています。現在、芸能人に求められているのは、単にテレビなどのマスメディアで面白、おかしく活動する事だけではなくて、インターネット上のSNSやブログで人気になる事も重要になってきています。
これは個人にも同じ事が言えるようになってきており、新聞記者が著名になってSNS上で人気になり『この人が書いている記事なら信用できる』と新聞購買に繋がっていかなければ、新聞記者として存在意義がなくなってきています。人々の需要に応じて、インターネット上で活動を活発化させていく必要が出てきているのです。マーケティング手法が大きく変化してきているのです。
従来であれば、顧客の情報資産を会社が保有してマーケティングを行っていましたが、そのマーケティングの手法もインフルーエンサ―と呼ばれる影響力がある個人に委託する形に変わってきているのです。そうなってくると、マーケティングの戦略を考えるだけの社員に高い給料を支払うよりも、インフルーエンサ―にお金を払って依頼した方が効果が高くなります。インターネット上で影響力を持たない営業員は必要なくなるのです。
ツィッターのフォロワーを増やす事は、一見すると仕事をしているように見えないので、企業においてあまり評価されない事かもしれません。しかし、企業のマネジメントを考えた時には、SNS上でフォロワーを増やす事は、マーケティングで非常に大切になる事です。例えば、C Channelなどは、短期間でフェイスブックフォロワーを1000万人まで急増させました。
コンサル業界が発達する理由
企業の内部で新しい事業を始めようと思った場合には、その手法が全く未知数である為に、コンサル業界を雇う事は珍しくありません。企業内部で行った場合には、マニュアルの作成などに非常に大きなコストがかかってくるので、その手法をコンサルを使って学習する事になります。コンサルタントを雇うには、必要な手法から人件費までかかってくるので、高額になりますが、それぐらい高額でないとコンサルを積極的に引き受ける人はいません。かつて、日本が外国人から技術導入した場合も、西洋人に多額のコンサル費用を支払っていました。
コンサルを雇う場合には、コンサルタントの基礎費用である手付金プラス成功報酬になりますが、事業を成功させる事は企業側のリスクなので、コンサルタントの基礎費用だけでかなり高額になります。講師を招いたセミナーなどが高額である理由と同じで、何かを学びたいと思った時には、そのコストは大きなものになりますが、それでお金が稼げるとは限りません。お金を稼ぐのに必要な知識と言うのは多岐にわたっていて、少し聞きかじった程度で稼げるようにならないからです。
コンサルを雇いいれて、手取り、足取り教えて貰うには、その人の人件費を支払う必要があり、電話・メールだけの対応で月額10万円以上の顧問報酬、常駐などになれば、簡単に100万円を超えてくるので、中小企業でコンサルを雇いいれる事が厳しいことが分かります。初期相談であれば、営業の範囲でやってくれるところもあると思いますが、本格的なコンサルを無料のような値段で引き受けてくれる会社などありませんので、その点を良く分かっている必要があるでしょう。たまに無料で教えて稼がせてくれという意味不明な事を言う客にならない企業がありますが、そういう頭の悪い会社に付きあう会社はありません。稼ぐ技術というのは、もの凄い苦労するものだからです。
成果を出す仕事と出さない仕事
現在の日本においては、フルタイムを正社員として、成果と利益を出す事を求められます。そして、派遣社員・アルバイトなどは、時給制で単純労働者なので、成果を出す事を求められません。少子高齢化が加速する日本において、正社員がいかに成果を出そうとしたところで、パフォーマンスを上げるのは不可能です。それどころか、パフォーマンスは毎年のように悪化していくのが普通です。もはや、今までのような成果主義のやり方では、パフォーマンスが上がらなくなってきているのです。
社員は昇給にやる気をなくて、単に給料が貰えればいいという考えになっていきます。真面目に働いているふりをして、そこそこの生活ができれば良いという考え方を多くの人が行うようになり、企業がどんどん沈んでいく事になります。高度な仕事をにチャレンジしたとしても、それがなかなかお金にならないのです。
技術が完成されたらオワリ
競合の相手の技術が完成した場合には、もう手も足も出ない状況になってしまいます。例えば、スマートフォンが登場した事によって、家電製品の多くがスマートフォンに置き換わってしまいました。それによって、日本企業の製造していた携帯電話などが全く売れなくなり、個人向けのパソコンなどの市場も縮小しました。今では、小型カメラがほとんど不要になって、ニコンなどが経営危機に陥っています。本来、ニコンなどもハード企業からソフト企業で収益をあげる会社に転換を遂げるべきでしたが、そうした技術の転換を行わないままにジリジリと市場を縮小しています。